クラウス・リーゼンフーバー/山本芳久編『存在と思惟』(講談社学術文庫、2024年)を読んで。

 この論文を読むためにだけこの本を買わなければならないというものがある。リーゼンフーバー氏の『中世における知と超越』所収のトマス・アクィナスの存在論をめぐる論文、『命題コレクション哲学』所収の神認識論はそのようなものに数えられるであろう。それらはのちに著者の大著『中世哲学の源流』に収録されることとなり、日本における中世哲学研究の結晶として今なお輝きを放つものである。相次いで刊行された『中世哲学の射程』と本書『存在と思惟』はその主著『中世哲学の源流』のハイライトともいうべきものである。本書『存在と思惟』に先んじて刊行された村井則夫編『中世哲学の射程』は中世文化を闡明し、中世哲学研究の前庭を読者に生き生きと提示する内容であり、中でも「サン=ヴィクトルのフーゴーにおける学問体系」はこの論文を読むためにだけでも手に入れる価値がある。そして引き続いて刊行された本書は、まさに中世哲学の核となる「存在と思惟」をめぐる論文で埋め尽くされている。
 本書にはまさに冒頭に言及した二つの論文が採録されているのである。先に刊行された『中世哲学の射程』が中世文化の総体を読者に提示するものであるのに対し、本書『存在と思惟』はその思考の核となる存在理解を提示してくれるものである。分量としては少ないながらも本書の解説において山本芳久氏が熟読を読者に促しているように、本書はさらっと読めるものでは決してない。しかし中世哲学に興味を持つ読者にとっては「トマス・アクィナスの存在理解の展開」は他書において暗示に留まる存在理解をこれ以上にない仕方で掘り下げて探求するものであり、読者をおのずと中世的思考の核へと導いてくれる。そして「トマス・アクィナスにおける神認識の構造」はもともと『命題コレクション哲学』所収であるため、より多くの読者に開かれつつも神学における原理的な思考を提示するものである。本書を読み始めて難しいと感じる読者はぜひ最後から二番目のこの神認識論から読んでみてはいかがだろうか。
 本書は小著ながらも中世的思考の核となるべきものを読者に提示する珠玉の論文集である。読みにくさを読者が感じるとすれば、それは著者が四つに組みながらテクストを判読していく思考の現場に立ち会うからなのである。それも『超越に貫かれた人間』や『超越体験』といった著作にはない深さで中世哲学の核心を読者に提示するものであり、まさに熟読に値する本なのである。思考の道行きだけでなく、本書で言及されるトマス・アクィナスを始めとした原典への指示を通して読者は中世研究の精華に触れられる、類まれな哲学書なのである。


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