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女子高生コンクリ事件を知らないほうがいい理由 -マジでやめとけ-

ポストが回ってきた。そして話題となっている。

女子高生コンクリ事件。

僕がこの文章を書くのは、みんなが興味本位でこの事件を調べることを止めるためである。

正式な事件名で言うと、女子高生コンクリート詰め殺人事件だ。(以下、女子高生コンクリ事件と称する)

僕がこの事件を知って、調べたのは10年ほど前だ。

この事件はとても有名なので、事件名を聞いたことがある方は多いと思う。

内容を知っている方も多いだろう。

何故この事件が有名かというと、日本で報道された事件の中で随一と言っていいほど凶悪な事件だからだ。


さて、断言するが、この事件がどういう事件だったか知らない人は、そのまま知らないほうが良い。

調べることなく、そのまま生活したほうが良い。

興味があって知りたくても、知らないことを選ぶべきである。


この事件のことを知ると、女子高生コンクリ事件という文字列を見るたびに、かなり陰鬱な気持ちになるという、呪いにかかる。

実際に僕自身、今回ポストが流れてきて陰鬱な気持ちになった。

この事件が特殊なのは、被害者が一人であるにも関わらず、ここまでの凶悪事件として扱われているところだ。

地下鉄サリン事件や秋葉原の通り魔事件、津山三十人殺し事件のように、何人、何十人という犠牲者がいる事件ではない。

一人なのだ。一人。

勿論、前述の事件も悲惨な事件である。

しかし、これらを束ねたとしても敵わない、とてつもない悲惨さを持っているのが、女子高生コンクリ事件なのだ。

僕は一時期、日本や世界で起こった凶悪事件をネットでよく調べていた。

それぞれの事件についての書籍を読んだりはしていないが、粗方の詳細まで調べたりしていた。

犯人達がどういう経緯で、犯行に及んだのか。
何故こんなことをするのか、どのようにして殺したのか。興味をひかれるものがあった。

とりわけ異質な事件や残酷な事件は沢山あって、例えば北九州監禁殺人事件や、酒鬼薔薇聖斗事件などは知っている人も多いだろう。

これらも日本の凶悪事件としてよく名前が出てくる事件であり、同様に女子高生コンクリ事件もよく出てくるのだが、言っておく。


断トツで女子高生コンクリ事件が最悪だ。

数々の事件を知った上で言うが、段違いである。

もはやジャンルが違うのだ。

これは殺人事件というジャンルではなく、破壊というジャンルである。

肉体の、精神の、〝人間〟の破壊。

正直、北九州監禁事件や酒鬼薔薇聖斗事件については調べていても、普通に読める。

普通に読めるというのは、普通に読み進めることができるという意味であって、残酷だなと思いながら読んでいる。

北九州監禁事件などはその事件の経緯、人間の心理状況などかなり異質なものがあって、興味をそそられるところもあり、変な話、実際に起こった事件ではあるが、ひとつのサスペンス小説を読むかのような感覚でいた。その他の事件も同様である。

ただし、女子高生コンクリ事件だけは違う。

明らかに他の事件と違う。

他の事件も残酷ではあるが、興味深い点があったり、犯人の人間性があったり(カスという意味で)して、そういう意味を持って興味深く読めるのだが、この事件は違う。

絶望一点なのだ。

それだけ。本当にそれだけでしかない。

興味深いところなど、無い。

ここから日本語をちょっと雑にするが、

終わってる。終わってるのだ。マジで本当に。

もう、こんなん無理だって。
いやもう本当に読んでて泣きそうというか、涙も引っ込む。青ざめる。
本当に冷や汗というか脂汗が出る。最悪過ぎて。最悪って言葉じゃ生ぬる過ぎるどころか冷たいまである。
この事件に対応してる日本語が見つからん。今後も生まれてこないわ。
何で結局詳細まで調べちまったんだ俺は。
二度と読めんぞこんなん。というか二度と読まん。

そこまで言うなら逆に興味があるから調べてみようかな、と思った君。マジでやめとけ。本当にやめとけ。フリじゃない。本当にやめたほうがいいの。
いや、わかる。人間にはやめろやめろと言われれば言われるほどそれをしたくなる心理的リアクタンスというものがあるのだが、それを飛び越してマジで本当にやめとけ。

もはや俺はこの事件を二度と調べないことにより、事件の内容の記憶を薄れさせようとしている。おかげで詳細はちょっと忘れたし。

この事件のことは忘れてはならないだとか、
負の記録として知っておくべきだとか、
うるせえ。

忘れろ。これは。 

さて日本語をちょっと正しく戻します。

僕は常々ハリーポッターを記憶を消してもう一回観れたらいいなあとか思っているのだが、この事件に関しては「絶対に女子高生コンクリ事件については調べるな」という刺青を腕に入れた上で、記憶を消したいまである。

世の中には知らない方がいい、知らなくてもいいと言われるものが沢山ある。

数学の微分法など知らなくても生きていけるし、恋人が浮気している事実は知らないほうが幸せだと言われることもある。

しかし、微分法を知ってもメリットはあれどデメリットは無く、恋人の浮気を知ってデメリットはあれど、関係を断ち切って次の恋に早めに進めるというメリットがあるかもしれない。 

ただし、この事件は知ったところでメリットなど一切無く、それどころか強烈なデメリットしかないのだ。

他にも、アウシュビッツ強制収容所で110万の人命が犠牲になった負の歴史を調べることは、多くの人間がこれを知ることで二度とこのような惨劇を繰り返さない為にも、という意義がある。

しかし、この事件を調べることには意義など無く、その上で何故かアウシュビッツを知ったときよりも遥かに凄まじい精神攻撃を発揮してくる。

ナイフで自分の腕を切って、痛くて、傷跡が残る。知ることは、これを精神にすることと同じだ。

知ったことで、人に優しくなれるとか、強く生きなきゃと思うとか、そんなことも一切ない。

そこにあるのは悲痛な絶望、ただそれだけ。

今回、ポストで流れてきたとき僕は陰鬱な気持ちになったと同時に、うわ、これを知る人が増えるんだな…知らないままのほうがいいのに、と思った。そしてこれを書いた。

みんなが知るべき事件だ、とか言ってる奴がいたらどういうつもりで言ってんだと思う。

割と本当に、みんなは毒を飲むべきだ、と言ってるのと同じだと思う。

さて色々書いたが、これがノートへの初投稿である。初めての投稿をさせてしまうほどのダークエネルギーを持ってるのだ、この事件は。

これだけ言っても、知りたいと思う人がいるかもしれない。

そういう人にはひとつだけ。

マジでやめとけ。

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