誰が話すことかの大切さを教えてくれた人
プレゼンの「技術」や「話術」には学ぶものがたくさんある。
それは、上手に内容を伝えるための工夫と言える。
プレゼンの「目的」や「ビジョン」も大切。
それは、情報に繋がりが生まれ、聞き手に残る話になっていく。
これらは、「準備できること」。
プレゼンの内容によりけりだが、準備とは違う素晴らしい要素をもったプレゼンと出会ったことを今日妻との会話で思い出した。
それは、
プレゼンターとしての自分の「立ち位置」をリアルに伝えること
言い換えるなら
何をどのように伝えるか+「誰がそれを話しているか」。
自分は、仕事が休みの時、たまにSELPでボランティアをしています。
SELPとは、社会就労センターのことで、support支援employment雇用living生活participation参加の頭文字をとったものです。昔の言い方で言うところの授産施設です。
そこでは、主に知的障害を持たれた一般の方が農作業や販売などをサポーターと共に行っています。
そこで学んだ大切なことは・・・・
とたくさんの素晴らしい「視点」や「価値観」をスピーチし、最後に写真が出てくる。
そこには、寝そべったお姉ちゃんとその背中の上に座っている妹の二人。笑顔でカメラに目を向けて幸せそうな写真。お姉ちゃんが妹の面倒を見ているような感じだ。
その写真を最後に見せて
「この写真に写っているのは私の子供たちです。寝そべっているのが長女で、上に乗っている子が次女です。長女には生まれつき障害があります。自分の力で立ったり歩いたりすることはできません。これから同じ歳の子と一緒に鬼ごっこをしたり、算数の学習をしたり、そんな思い出は作ることができません。しかし、この子もこの写真のように笑います。幸せな気持ちで生きている時間があります。僕がしたいことは、どのような境遇にある人にも幸せに生きてもらうためのお手伝いです。この長女の笑顔を守れる社会を作りたいのです・・・・」
記憶を辿りながら書いたのだが、そんな話だった。
この最後の話を聞いた瞬間
これまでプレゼンで話していた内容にたくさんの彩が加えられ、心に直接突き刺さってきた感覚に襲われたのを覚えている。
言語化すると軽くなってしまうのを恐れずに言うならば
プレゼンによって与えられた「情報」に「聞き手の信頼」という「色」が加わり、「情報に応えたい」という「思い」まで引き出された感じ。
転勤していった私の後輩がかつてしていたプレゼンだ。
大学卒業したての彼と出会った。まだ結婚もしておらず、正直抜けているところもあって、でも愛されキャラな彼。飲み会ではよく盛り上がっては潰れていた。「がんばりまーす」「はーい」が口癖で、先輩たちからも「また出た、軽いやつ!」と突っ込まれるような男だった。
10年経って再開した彼は別人。同じ時間が流れてきた10年間だが、きっと苦しい思いもしてきたのだろう。きっと今でも言っている「がんばりまーす」や「はーい」は、重みが違うものになっている。
本で読んだから知っていた。「何を話すかより誰が話すかの方が大事」ということ。でも、本当にそうなんだ。人の心に刺さるプレゼンは、この部分無くしてはよほどプロじゃない限り難しいんだ。そう教えてくれたのは、この後輩のプレゼン。
自分は「誰」で、どんな人に「情報」を伝える「価値」をもった人間なのか。プレゼンをする以前に向き合いたいことの一つだ。
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