見出し画像

長い髪を切れば変わるかもしれない

31歳、久々に仕事でいっぱいいっぱいになって泣きそうになってる。泣いてはないです、いい大人なので。
日々トイレに行く時間もないスケジュールで、それでも仕事のキャパシティを広げるチャンスだと思い、振られる仕事は全て受け、振られてない仕事も取りにいき、自ら忙しさにブーストをかけてたらさすがに回らなくて泣きそうになった。なので、身も蓋もない。

好きな人が結婚して子供ができたことも、対して自分に彼氏すらできないことも、周りの友達が人生のイベントを着々と迎えどんどん先に進んでいくことも、仕事をしてたら忘れられる。自分だけが何も変わらないのが怖くて、仕事での成長に縋り付いてる節もある。とにかく仕事を詰めまくった。土日は死んだように寝て、起きると夕方。新卒の頃みたいな生活をしている。
あの時は夕方から友達と飲み歩いてたけど、今はテキトーなYouTubeを横目に溜まった家事を最低限片付ける。昔のような体力はないからそれは良いんだけど。

この生活が嫌というより、これが命ある限り数十年続く可能性があることが怖い。どんどん変わる外の世界を、ただ変わらず眺めているだけの自分が想像に易くて、それが怖い。

2年ぶりに桜木町に行った。友達の結婚式で。出席する友達はほとんど結婚してるし憂鬱だった。
京浜東北線から見える横浜から桜木町の景色は8年前とはすっかり変わっていた。知らない新しい建物がたくさんできている。ただ変わらないものもあった。例えば仏壇会社(?)のビルとか。あれは私が上京した時からあったはずだ。
桜木町駅の南口改札には謎の短距離モノレールができていた、まああれには一度乗ったことあるけど。それを除けば駅から出た時の景色はあまり変わってない(そう思うのは横浜駅が変わりすぎたせいかも)
4月の空気もあの頃のままだ。少し埃っぽくて、トレンチコートを着たくなる陽気。暖かい空気をごっそりどこかに持っていく少し冷たい強い風も。
春の強風を昔は毎年うざったく思っていた。今と変わらず長い髪は風で四方八方に舞い視界を遮るし、自慢のロングヘアをボサボサにされるのが嫌だった。
懐かしの強風。やっぱりうざったいなと思った。あの頃と変わらない、昔よりもさらに手入れされた自慢のロングヘアはやっぱり風で派手に弄ばれる。昔よりも丈が長いトレンチコートも右に左に舞い上がる。

変わらずうざったい強風だけど、懐かしさを感じるせいか、最近の澱んだ気持ちを1/3くらいはどこかに押し出してくれた気がした。

とはいえ何かが好転したわけではない。
結婚式場でもらった席次表には友達の名前に見慣れない苗字がくっついていること。誰々が結婚しただとか、幼稚園の話だとか、家を建てるからあれが気になるこれを聞きたいといった話に微笑み地蔵に徹することしかできないこと。
小さなことの積み重ねで、ヤギに足の裏を舐めさせるという昔の拷問のように(ヤギの舌はざらざらしていて舐められ続けると皮膚とかが削れていくらしい...)、少しずつ心が削られて血が滲み骨がのぞく。
誰も悪くない時の傷つき方の比喩はこの拷問がぴったりな気がする。

仕事が忙しく最近疲れてるからと本音と嘘半分半分で二次会は断り家に帰った。
猛スピードで東京に戻る京浜東北線に揺られながらまだ明るい外を眺める。
昔から変わらないロングヘアには夕陽に照らされ天使の輪かかっていた。

この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?