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僕なりのコロナ考察

ビールの旨い季節になってきましたね〜。自粛みたいな事言う方もいらっしゃるようですが、どのみち最低でもあと2年ぐらいは今の状況続けなきゃいけないんです。ワクチン出来るまで…なんて話もよく聞きますが、その時にまた別のウイルスが出てこないとも限りません。つまり、今のディスタンスやマスク、消毒が普通の日常になっていくように、外食や出張、旅行なども普通にしていかないと、と思います。外食や旅行が無くても勿論生きてはいけます。ですが人生の潤いは無くなるし、それは人格形成や精神のバランス、人同士の心の通わせ方にも悪影響を及ぼすと思います。つまり経済云々ばかりでなく、人としてまともでなくなってくるのではないでしょうか。

いつまで感染者数をカウントし続け、いつまで外出や自粛に怯えるのでしょうか。カウントが悪とは言いません。情報は必要です。ただそれが多くの人の意味を伴わない自粛や萎縮を生んでいるのは事実ですし、疫病にさえ罹らなければ、人としての普通の暮らしがなくなっていくのも仕方がないだろう?という考え方を助長しているのもまた事実かと感じます。でも僕は嫌ですね、人間らしい楽しみ方を放棄するのも経済に殺されるのも。

思うんですが…ひと昔前は「PM2.5」なんて概念はありませんでした。「今日は随分PM飛んでるからマスクして外出しよう」という新しい生活様式を生みました。このレベルでいいような気もします。軽すぎですかね?(笑)ですが、トップニュースで感染者数を報じたり、年齢性別を明記してみたり、記者会見を開く必要はなく、天気予報みたいに「本日の感染者数」ぐらいで画面の隅っこにでも報じてくれる程度で個人的には十分かも。人間的な生活が抑制されるぐらいなら。人同士が白眼視し合うぐらいならね。

勿論疫病に罹るのは嫌ですが、疫病を上手く交わす注意と努力をしつつ、行動を起こす方を選択したいと考えます。その中で、伸びゆく文化や行動もあれば、死にゆくものもあるでしょう。それはもう仕方がないことです。そうなってしまったんですから。感染者数をカウントするよりも、明日の生活様式の議論が加速するように促していくのがリーダーの仕事だと思います。情報入るのが速いなら尚更です。大小問わず経営者も、国や村問わず政治家も、資質を試される時代が同時期に到来してしまったということですね。自身の在るべき姿をよく考える時、勿論自戒を込めて。

死者については踏み込みにくいところではありますが、残念だけど病気で亡くなる人は常にいらっしゃるわけで、それはコロナに限った話ではありません。いつまでも流行みたいに特別視していくのが果たして在るべき姿なのか?と僕は思います。ここは意見の分かれるところだと思いますが、ここもまた前向きな議論なのでしょう。

ご存知の通り僕は頭が悪いのですが、頭が悪いなりに無い知恵絞って、人としての、というよりは僕としての在るべき姿を考え続けていきたいと思います。仕事も充実したいし、子供が大人になる前にもっと海外も見せたいし、ゴルフもしたいし東京の友人達とも会いたい…まずは人に迷惑をかけないように、その中で人間らしい生活を回していけるように地に足をつけて行動していきたい…などと、昨日の昭和43年生まれの会の会食事にアレコレ思いました。またも長文スンマセン。

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