見出し画像

『Sheside outside』シナリオ分析

 アリ夏きちゃあああああ!


あらすじ

良かった点

①序盤の無目的さとエデン条約編との対比

 読者にとって「現在何を目的に行動しているか」が分からないのはシナリオ読みにあたって相当なストレスになる。そのため基本的には物語序盤で大まかな目的が与えられるのが常だ。多くの漫画において海賊王になる、妹を元に戻す、ヒーローになる、などといった主人公の最終目標、行動指針といったものは序盤に提示される。
 これはブルアカにおいても同様で、パヴァーヌ1章ではミレニアムプライスというコンテストで受賞するという目的のもと物語が進行しており、エデン条約編では「テストで合格点を取る」という表向きの目標に加えてナギサから「裏切り者を探せ」という任務が与えられていた。このように序盤での目的の提示は面白いシナリオによく見られる手法である。

 だが今回の『Sheside outside』については祭りの手伝いをしている/祭りに参加している、という状態のみであり特に何か明確な目標が与えられる訳ではなかった。なので読み手は物語がだらだらと進行している印象を受けかねない。だが今回の主役であるアリウススクワッドの面々、特に『0068』で登場したサオリ以外の3人はエデン4章(正確には最終編が入るが)の流れからそのまま参加している点を考えるとまた違った評価になる。つまりこの話は新規イベでありながら4章の後日譚的な役割を果たしており、過酷だった4章と平穏な『Sheside outside』序盤という対比が生まれていた。目的らしい目的が与えられない長閑な時間であるため、却って辛く苦しかったあの時を思い出す……というサオリの余韻を感じやすい。
 今回のシナリオにおける序盤の無目的さはアリウスを題材にしていたため噛み合った要素であり、あえて目的をなくすことで面白くなっている。

終盤もこの兵どもが夢の跡的な寂寥感が漂っている。アリウスらしい。

②サオリとアツコ達の互いを想ってる感

 今回サオリとアツコ達は互いに相手を認識しつつもあえて距離を置こうとしていた。アツコ達はDJ B.o.Bからサオリを助けるため彼に灸を据え、サオリは法外価格からアツコ達を守るためにヘルメット団を懲らしめた。それによって起こった変化に対して戸惑うのも共通しており、離れていても互いに考えていることは一緒だということが分かるようになっていた。尊い。

③新キャラ2人登場

 純粋なシナリオ的な面白さからは微妙にずれるが、新キャラが出ると基本的に物語は面白くなる。漫画でもテコ入れの際は新しいヒロインを投入するとか聞いたことある。また今回の2人は登場の仕方も凝っていた。

かわいい
ゴツいい

〇ニヤニヤ教授の場合

①ある程度ブルアカを続けてきた先生には「ニヤニヤ教授=天地ニヤ」という事前知識があるため
スケバンの会話で「教授」という単語が出てきた時点でまずニヤの関与を疑うことになる
②だが影を見て「ほなニヤちゃうか……」となる
③やっぱニヤニヤ教授じゃねぇか!どういうことだってばよ!
④そしてこの顔である

 ニヤニヤ教授の正体について探ろうとする読み手が彼女の手のひらの上で転がされてる感じがキャラクター性ともマッチしていて面白かった。

〇アケミの場合

 事前の会話でスケバン達が「姉御の仇」などのセリフで存在を匂わせておいた上で、そのスケバン達の窮地を逆にアケミが華麗に救うという演出がとても良かった。またエデン条約編や『0068』、直前の水鉄砲大会で圧倒的力を見せつけていたサオリと腕が鈍った状態でも同等以上に戦っていたことで彼女の筋骨隆々な立ち絵の印象にもマッチした非常にインパクトのある登場シーンとなっていた。

色んな属性のキャラが出ることで徐々に世界観が広がってる感じいいよね

④類似展開の反復

 似た展開を繰り返すという手法は基本的に読み手に強く印象付けたいときに使われる。これはシナリオに限ったことではなく、音楽でもラスサビを繰り返すことでより耳に残るようにしていたり、プレゼンなんかでも大事な部分は何度か繰り返したりするだろう。今回であれば「アツコ達(サオリ)がサオリ(アツコ達)に起っている問題を陰ながら解決する」という展開が交互入れ替わりで2セット繰り返された。これにより②で述べた互いを想いあってるという構図がより強調された。
 またサオリとアツコ達の再会とアケミとスケバン達の再会という部分も似たシーンが続いていたといえる。

⑤別れシーンがエモい

透き通るような世界観(真)

 再会と別れという題材がまずいい。早朝の波打ち際っていう舞台設定もいい。交わされる言葉もいい。すこ。

気になった点

アリウス組の印象が割と薄い(特にサオリ合流時)

 ヘルメット団、スケバン、DJ B.o.B、ニヤニヤ教授、アケミなどに描写が吸われているぶん肝心のアリウススクワッドの描写が少ない印象を受けた。特にサオリと他の三人が(互いに今はまだ会わないようにしていたのを撤回してまで)再会したシーンは(会わないようにしていたことを踏まえると)シナリオ的にはこの物語の一番の山場だったはずだが、個人的にはアケミの強烈なキャラクター性や彼女の部下であるスケバンとの再会の印象に負けていたように感じた。ただでさえ読み手は先生の視点を通してサオリとアツコ達の両陣営を交互に移動していたため再会感を感じにくい。そこにアケミの強烈さが加わったせいで久々のスクワッド再集結がさらっと流されたイメージがあった。その後のシーンも先生への感謝が主で互いへの感情自体は比較的軽めな印象を受けた。まあ行間はあったし彼女たちにとっては一緒にいることや言葉を尽くすことは既に必要ないくらい互いを信頼し合っているという風にも読み取れなくもないが……

最後の別れのシーンもちょっと気になった。
なぜサオリが「暗闇の中を走っているような気分」から上記のようになったのか、その変化はいつから生じたのか、その根拠は今回のイベストの中にあったのかが不明瞭に感じた
今回の物語はサオリの成長した姿を見せる物語だったのか、それとも久々に会ってお互いが大事だという認識が変わっていないというのを示したかったのか。前者であれば昔との違いを強調すべきだったし、後者であれば上記のセリフを大トリにするのは違うようにも感じる
もし人生が好転し始めたというものを描きたかったのであれば(胴上げとかはあったにせよ)もうちょっと周囲から受け入れられる感覚が欲しかったような気もする
アリウススクワッドを題材に何を描きたかったのかが微妙に分かりづらいというか、「幸せそうなアリウススクワッド」を描くというので留まっているような印象というか
結局のところスクワッドの描写がもっと欲しかったという駄々こねなのかもしれない

DJ要素の取って付けた感

 シナリオにおけるDJ要素の必然さのようなものはあまり感じられなかった。これはDJ要素がシナリオに大きな影響を与えていないという訳ではなく、他の要素、例えば歌フェスや花火大会に置き換えても似たような話が作れそうだったという意味だ。
 個人的な趣向なのだがシナリオはそのキャラクターや出来事ではなければ成立しないものであるほうが美しいと感じている。たとえばエデン条約編4章はミカというわがままお姫様なキャラクターやアリウススクワッドという救いのない生に倦んだキャラクターたちがいたからこそあれだけ重苦しい展開を描けただろうし、アビドス3章に出てきたいくつかのキーアイテムも他の道具ではなくそれだったからこそ描けた展開というのがあっただろう。
 だが今回のDJ要素はかなり薄く感じた。もちろんDJとアウトローは親和性が高い(※イメージです)というものや、ブルアカ自体がリアイベでDJステージを設けることが多いなどといった理由はあるだろう。だがそれらの要素や他のDJならではの要素をシナリオに落とし込めていない印象を受けた。

 たとえば(設定やら展開はまったく変わってしまうが)ヘルメット団とスケバンが対立していて、それぞれ何もかも趣向が異なっていた。その中に音楽的な好みの違いも存在していて互いに「この曲の方が凄い!」みたいな喧嘩が勃発していた。しかし最後のDJステージでその2種類の曲が(サオリによって)うまく繋げられて片方の曲だけでは得られなかった感動が得られた、みたいな流れだと(かなり陳腐な例だが)歌フェスや花火大会ではなくDJでなければ成立しないというシナリオ上の必然性が生まれるだろう。もちろん最終的な評価としては面白いか面白くないかなので面白ければ何でもいいのだが、必然性があった方が面白くなる印象がある。

まとめ

 個人的にはニヤニヤ教授やアケミなどの新キャラの盛り上がりが大きかったもののアリウススクワッドの面々の内面に深く踏み込むタイプの物語ではなかったという印象。あと個人的にミサキの露出が多かったのが意外。てっきりラッシュガードとか着てくると思ったのに。これは早くモモトークを読みたいところ。ガチャ更新まだですかアロナさん。えーと29からだっけ?臨戦おじさん&クロコで石吹き飛んだから何とか無料100連で……

……え、ミサキは一年後?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?