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311~日常の大切さと防災について考える~

昨日、311から13年を迎えた。
発災当時は、下総の国におり、激しい揺れに襲われた職場で、お客様の安全を考えながら必死だったのを覚えている。
あの時、テレビで見た光景、帰宅途中の混雑(幸い近所の先輩が車で家まで送ってくれた)がいまだに忘れられず、大きな被害に遭われた方々へ自分が何ができるか?を必死で考えながら、働いて募金をしていた。

あの日、私の価値観は大きく変わったと今でも思う。
人生はこんなにも儚く、人間の力はこんなにも小さいのか、と。

それでも、生きている人間には日常が訪れて、前を見るしかない、と思わされた。

毎年311と関東大震災があった9月1日には防災について考えるようになり、防災グッズや何かあったときに、、、を考えている。
ある程度想定しておけば、何かあったときにとっさに選択肢として出てくるだろう、と思っているが、実際はもっと厳しいとは想定する。

それでも、日本で生活している以上は避けては通れない道だ。

先日、年下の方から相談を受けた。自分がどの道に選択をしていいかわからない、とのことだった。
正直人生の選択は、今したことが間接的には将来につながるが、それが正しいことは誰にもわからない。
ただ、一つ言えることは、やりたいと思ったことはできるなら、今やるべきだし、その先の未来に何が待っているのかなんて、誰にもわからない、ということを伝えた。
その方から「今自分がしたいことにフォーカスして、今を大事にできる選択をします!」という言葉をもらった。

日常が如何に素晴らしいか、は実は私たちがあまり気づけていないのかもしれない。
悩みは十人十色で、人によっては違うが、働いて、ご飯を食べて、屋根がある家に住めて、家族や友達がいる生活を送れている人はそれだけで幸せなのかもしれない。

当たり前は実は当たり前ではなく、有難いものであり、失ってその貴重さに気づくものである。

一番重要なのはこの出来事が、過去のものとなり、風化することなく受け継がれることだ。忘れたら、同様なことが起きた際に、対処が何もできなくなってしまう。人命にもかかわるのでそれだけは避けないといけない。

311に私はいつもワンオクの「Be the light」を聞く。
自分の中で、あの日のでき事を忘れないようにするため、防災を意識を自分の中でわすれないようにするため、今を大事に生きるために、だ。


話はそれるが、今年の311に今の世界で起こっている戦争について、どうしたら止められるのか、も考えた。なぜなら、地震や自然災害は、なかなか人間がコントロールをするのは難しいが、戦争は完全なる人災。人がコントロールできるものだ。
それを、政治的なのか、歴史的なのか、はたまた人間のエゴなのか、いろいろな要因で、人的に勝手に引き起こされ、その被害を受けるのはか弱い一般市民だ。
理不尽さで言えば、人的に起こされた方が圧倒的に理不尽であり、他国に勝手に侵略行為を受けたり(ウクライナとロシア)、報復という名のもとに何万もの人が犠牲になる(パレスチナとイスラエル)。
基本的人権はどこにいってしまったのか。。。。
人の命をなんだと思っているのか。。
いつもの日常が消え、将来が考えられなくなる。
そんな選択を政府や他国がさせるのはおかしいだろう。。。

それでも一般人は明日は今日よりもより良くなる、信じて前を向くしかない。

星野ルネさんとジェイソン・モーガンが以下の新著を出されて、読んだが非常に面白かった。

とくに、アメリカ人のジェイソンさんが、「日本人は政府や政治家を信じすぎる」というところは、たしかにな。。と思いつつ、それでも何かあったとき政府はたまにはいいことしてくれるしな。。と甘いことを考えていた自分がいた。政府や政治は生活に関わってくるところなので、引き続き私たちが関心を持つことが重要だ。

最後はまとまりがなくなったが、今に感謝をして、今日も生きる。



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