Judoと柔道の違い~オリンピック柔道の誤審問題から考える~
パリオリンピックが開催されている。
柔道での誤審問題が報道されていたので興味深くみていたが、色々モヤモヤしたことがあったので、ここに書いてみたい。
0.はじめに
https://note.com/lovingfood/n/ne477533e84cf
今回は剣道経験者という立場でこの誤審について書きたいと思う。
その理由として、私が教えられた剣道において、試合の誤審はある、と仮定してもその試合においては審判の判断が絶対であり、それは尊重するべきだ、というものだった。
小さい頃からその考え方を植え付けられてきたので、試合で誤審があって自分に不利に働いたとしても、なんとか精神を落ち着かせて、最後までやりきるように努力した。
武道においては「心・技・体」が揃わないと隙が出来、そこを狙われ、負ける、と言うことが多い。相手はいるが、己との戦い、と言う側面が強いのだ。
1.柔道60キロ級の誤審について
じっくりはみてないし、柔道未経験者なので私には細かくはわからないが、今回の永山選手の試合で、「待て」があったのに相手は試合を続行して、永山選手が結果1本負けを喫してしまった、という内容なようだ。
「待て」の場合、剣道では双方構え直しが求められるので、ゆっくり間合いを取りながら、構え直す。それをしないと指導される。
色々な記事を読むと柔道では、待てがかかった後に試合を続行したとしても、待て以降の技は無効になる、ということだった。
しかしながら、今回のケース、待て、をしたが相手選手は必死でその待てが聞こえずにそのまま技をかけ続け、結果、日本の選手が1本取られてしまった。
オリンピックという大きな会場で、審判の声が聞こえない、というのは理解はできるものの、そんな状態で試合で勝ち進むことに驚いた。。。
とは言っても、オリンピックはそういう舞台なのだ、と言われればそれまでた。。。
2.Judoと柔道の違い
今回の誤審で、日本は審判団に抗議をした。
冒頭の記事によると、審判団は、技についての結果を話し、日本側は、「待て」後の技の無効について、を話したので、議論が平行線(というかそもそもの論点がズレズレ)になり、判定は覆られなかった様だ。
日本側の「待て、の後のあれは柔道精神に則っているのか」という問いははぐらかされたのか何も言わなかったのか、は書いてなかったので不明だが、これは武道としての「柔道」ではなく、勝ち負けにこだわる「Judo」になっている。この前提が疎かにされるのであれば、今後もこういうことは起こるし、このレベルの審判を用意する国際柔道連盟にはがっかり。。と言う気持ちになる。
冒頭の記事を鵜呑みにはしてはいけないものの、オリンピック競技のJudo は武道ではないのね。。とすこし切なくなった。
とは言うものの、永山選手が相手選手の握手を拒否した、というニュースをみて、そこは握手しようよ。。。と個人的には思った。審判については、日本の抗議後に待てが間違いだったことを認めたという非常に選手に敬意を欠いていたので、怒る気持ちは理解はできるが、対戦相手には敬意を払うべきだった、とは思うのだ。
3.武道をオリンピック競技にして良いのか?という問い
今回のJudo をみて、武道をオリンピック競技にしても良いのか?という問いが私の中にはある。
今回みたいな「~精神」ということを日本以外の国の選手や審判が完全に理解するのは難しいし、審判の質を担保するのは容易ではない。そして、さまざまな価値観がある国際大会で、勝ち負け以外の戦い方、という戦い方は無理ではないが、無謀に見える。
人間が判断をする以上、間違いはある。しかしながら、審判はその間違いを起こさないようにするのはもちろん、選手にたいしても敬意を払ってほしい(公平で公正な判断と間違いを起こしても納得のできる説明)。
誤審にみまわれても、銅メダルを勝ち取った永山選手に心からのおめでとうと伝えたい。
あの怒りの誤審の中でよく気持ちを立て直し、試合に挑めたことは本当に素晴らしいことで、誰にでも真似できるものではない。
今後の活躍も影ながら応援したい。
(今回の件で柔道の国際大会の審判ってどうやってなるのか、に興味出たので調べようと思う)
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