2023/08/02 얌마 니 꿈은 뭐니


 夢がない。

 幼稚園の頃は、ミニモニ。になりたい!と思っていた。小学生の頃は漫画家になりたくて漫画ばかり描いていた。中学生の頃は大人っぽくなりたいと思っていた。高校生のときは特に夢はなかったが、やっぱり理想の自分というヴィジョンはあって、現実とのギャップに悩んでいた。
 
 今、自分に夢はあるだろうか?何かを夢見る瞬間が日常生活でどれだけあるだろうか?
 
 ないんだな、それが
 
 これは結構自分の中の危機だと思う。

 今日、河合隼雄の『こころの処方箋』という本を読み始めた。そのなかに、こんな一文があった。

理想なしで人生を生きるのは、味気がなさすぎる、と私は思っている。理想の光で照らすことによって、自分の生き方がよく見えてくる。

『こころの処方箋』河合隼雄

河合隼雄はこう続ける。

しかし、理想は人生航路を照らす灯台であるが、それに至るべき到達点ではない。 灯台によって航路が照らされ、自分の位置がわかる。しかし、灯台に近寄り過ぎると、船は難破するのではなかろうか。

『こころの処方箋』河合隼雄

 自分の挫折は、灯台に近寄りすぎて難破してしまったことにあった、と気づくと同時に、難破の経験から灯台を恐れるようになってしまったのではないか、と思った。

 今の私は真っ暗な海を彷徨っているだけで、どこに進んでいるのかもわからない漂流者そのもの。だから理想という、航路を照らす光を取り戻す必要がありそうだ。

 夢を見たり、理想を追いかけたりするのは、結構しんどい。さらに自己肯定感が低下しているときは、「こんなゴミみたいな自分が夢なんか見てすみませんでした……」という気持ちにもなってしまう。
 
 書けば書くほど、私は精神的な自傷行為を繰り返していたんだと気づく。自分のナラティヴをつくれないこと、夢や理想を考えないようにすること、すべて自分に対する諦めだ。

 もう一度、夢を見たいし、追いかけてみたい。
 さて、何をしよう?何になろう?
 
 中間管理職にはマジでなりたくない。編集者は編集長になることがひとつの夢って人も多いが、絶対に嫌である。

 じゃあ、どんな編集者になりたいか……。ちゃんとした編集者になりたいとは思うけど、それができない自分を責めてしまうので最近は考えなくなっていた。そう、夢や理想を持つことは現実とのギャップに苦しむことでもある。

 昔は、ゲラに赤字を入れている先輩の姿がかっこよく見えたものだった。初めて自分の担当ページの色校が出たとき、ビクビクしながら赤字を入れて、でも今「編集」っぽいことしてるなあ〜と思ったのを覚えている。そう、自分は今かっこいいことをしている!っていう気持ちを持ちたい。思えばタバコを吸い始めたのも最初は喫煙者の先輩がかっこよく見えたからだった。そういうの、今全然ない。いいな、大好きだな、尊敬できるな、って人はいっぱいいるけれど、自分がそうなりたい、とはあんまり考えなくなった。人と自分の心理的距離を置きすぎたのかもしれない。

 夢……理想……つくろうとすると難しい。

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