2023/08/24 自分探し

 私が陥っているのはある種のクオーター・ライフ・クライシスかもしれない。ふとそう思ったのは、鏡を見るのが嫌になっている自分に気づいたときだった。2年間で12キロ太った私は、化粧をするために鏡を見るとき耐え難い苦痛を感じる。履けなくなったズボンを捨てるとき、股擦れ防止用のインナーを買ったとき、みじめな気持ちになる。私はこれを、単なる美醜の問題と片付けようとしていた。自分の中にあるルッキズムが、醜くなることを許せないのだと。しかし、自堕落な生活の結果太ってしまったことがこの暗い気持ちの原因のすべてなのか?と疑問に思った。おそるおそる鏡を見ると、太っただけでなく、疲れ、やつれ、老いによって、顔つきそのものが変わっていた。学生時代の写真を見返すと、実はさほど顔の丸さは変わっていない。ただ、そこには、若くて未熟ゆえの謎の自信が見てとれた。人によっては癪に触りそうなその表情は、今の自分に比べてとても魅力的だった。
 
 たしかにたくさんの恥ずかしい失敗をした。それは、私の生活は最高であるという自負に基づいていた。それが原動力になっていた。多くのことに手を出して、大言壮語な夢を語り、自信を持って何かに取り組むその姿は、向上心に溢れていて、今にしてみれば穴があったら入りたいくらいの失敗も、価値を持っているような気がしてくる。

 今の私はどうだろう。無気力で、何にも挑戦したくない。自分には価値がないと思っている。何もはかどらないし、焦燥感だけが募って、ますます自分を責めている。

 世間知らずゆえに生意気を言って突き進んでいく姿は、痛々しいけれど、同時に可能性を広げてくれた。今の私にはそんな気力はない。だから可能性の幅も狭まって、追い詰められていく。

 かといって、今から「私は最高!」マインドになるのは無理がある。あれは若くて未熟だったゆえに目を瞑ってもらえていたものであって、今同じはしゃぎ方をしたらひどい結果になるのは目に見えている。

 そう、若さを失いつつある今、どのように振る舞うべきかがわからないのだ。正直アラサーで調子に乗っている奴の痛々しさはティーン〜20代前半の比ではないので、そうはなりたくないけれど、それにしてももうちょっと自己肯定感がほしい。
 せめて、太っていたとしても、鏡を見て「私は大丈夫」といえるだけの自信がほしい。

 新卒の頃は、躁転していたこともあり、ものすごい勢いで仕事をしていた。タスクを消化するたびに誇らしくなった。たとえそれが100件のメールを送るだけでも、1件送るたびに達成感があった。私は今、仕事をしている!と。会議では、自分の能力をアピールすべく頑張っていた。いい記事をつくろうと終電まで残業した。
 あの頃の自意識過剰な原動力は、もうなくなってしまった。それは、単に仕事に慣れただけなのかもしれない。けれどそれ以前に、自分のやっていることに価値を見出せなくなっていた。100件のメールも苦痛なだけ。前は1日で終わっていた仕事が、3日かかる。本来ならば経験年数が増えてスキルアップしているはずなのに、28歳にしてすでに能力が衰えている。

 こうなりたい、という理想もない。NewJeansのように痩せたい!とか、あるいはあの先輩のようにシゴデキになりたい!とか思わない。ただただ毎日が消化試合で、乗り切るだけで精一杯。理想を持てるというのは強いことだと思う。自信や自己肯定感がなければできない。理想は私を苦しめる。理想のせいで現実の辛さが浮き彫りになる。

 そう、現実的なラインを超えようと思わなくなった。合格点さえとれればいいという発想。もっと目標を超えて自分を高めたいとは思わない。頑張る理由がない。お給料も少ない。褒められない。

 軽いセルフネグレクトでもある。自分のことに気を使う気力がない。化粧をするのもめんどくさいし、誰にどう思われてもいい。昔は人に好かれたかったし、一目おかれたかった。もうそんな夢は私の中で無意味になった。好かれたところで、一目置かれたところで、何になるんだろう。疲れるだけではないか。そんな思いが拭いきれない。

 後先のことは考えなくなった。だからたくさん食べて太る。あるいは仕事のスケジュールがぐちゃぐちゃになってしまう。家も汚い。負のスパイラルにハマっている。

 前に日記で「理想を持ちたい」というような話を書いたが、まだ私は理想を持てていない。そもそも自分で自分のことがわからないし、自分に対して距離感がある。コイツ(私)がどうなろうと別にいいや、と思う。

 でも、とてもとてもつらいのだ。自分が見えない、なりたいものもわからない、だから動機がなくてどんな行動もぼやけている。早くここから抜け出したい。

 ふと、学生時代バイトしていた塾の生徒を思い出す。彼も無気力だった。講師たちは彼のモチベーションを上げようと叱咤激励していたが、無気力なときは何をやってもダメなのである。きっと彼も辛かった。そんな彼の辛さが私にはわからなかった。いまは元気にしているだろうか。

 今日はしっかり化粧をしてみた。涙袋を描いて、マスカラをつけた。鏡の前でにっこり笑ってみた。かわいいなど似合わない歳になってしまったけど、かわいいを諦めたらどんどん老けていくんだろうなと思った。

 どんな自分になりたいか、心の声に耳を澄ませてみる。せめて体重は元に戻したい。まだまだかわいいと言われたい。仕事も素早くさばいて信用を得たい。いい本を作って読者に喜んでもらいたい。案外出てくるものだった。ただそれをすべて「無理」と自己否定していた。他ならぬ自分が。

 私にならできる!という思いは、やっぱり大切なことだ。ある程度大人の世界で生きてきて、厳しい状況にも置かれて、私に残ったのは「なにもできない」という無力感だった。これをいい方向に上書きせねばならないのだろう。

 私にできることはなんだろうか。私のいいところってなんだろうか。私らしさってなんだろうか。
 一時期はロボットになりたいと思っていた。「私」をどんどん無色にしていきたかった。それができる大人になることだと思っていたが、間違いだった。そんなものにはならなくていい。それに気づいたころにはすっかり自分を見失ってしまった。

 自分探し乙という冷笑を振り切って、改めて自分探しをする。思春期とは違う自分探しを。

 そして、自分への愛を原動力に生きていきたい。

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