2023/07/20 比喩


 比喩がノイズにならないとき、その比喩は成功している。なにかを表したいとき、言葉を尽くしがちだけれど、実は飾れば飾るほど違和感につながってしまうケースは多い。自分のための比喩であれば、自分の納得をゴールにすればよいけれど、会話や文章など、相手がいるときが厄介で、どうもディスコミュニケーションになりやすい。

 なにかをたとえるとき、「まるで春先のモルダウ川みたいに」くらい思い切ってくれないと、我に帰ってしまう。そう、やっぱり勢いなのだと思う。先日、友達がグレープフルーツ割を飲んで「冷たい廊下の味がする」と言ったのは良かった。率直な感覚で繰り出される比喩には説得力がある。それが勢いなのかもしれない。

 自分の日記を読み返して、比喩、少ないな、と思った。自分では全く意識してなかったので驚いた。特に、名詞にかかる形容詞的な使い方が少ない(英語でいうとlike a boyみたいなこと)。それは〜のようだ。は使うけど、〜のような◯◯、というのは少ない。あと、◯◯のように〜した。という副詞的な使い方もあまりしない。 自分の文章の癖って考えたこともなかった。

 けっこう、感覚部分での言語化を怠っていたかもしれない。とすると、自分が本を読むときに比喩がノイズだと感じるのは、単に自分が比喩を使わないからピンとこないだけ、という気がしてくる。

 自分の言葉で語ること、その過程で定形化された表現を避け比喩を豊かにすること。これらを目下の課題としている私にとって、よい発見だと思う。

 まずは受け手を想定しないで、自分だけの比喩を作ってみようと思う。

 

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