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【対訳】キーツ"This living hand, now warm and capable"(※意訳注意)


ジョン・キーツ(John Keats、英、1795-1821)はロマン派の詩人。
 "Beauty is truth, truth beauty"(「美は真相、真相は美」)
 "O for a Life of Sensations rather than of Thoughts !"(「思考よりも感性によって生きてこそ ! 」) 
など。

 キーツはロンドンのモーゲートにある馬車屋の家(つまり庶民階級)に、4人兄弟の長男として生まれた。幼少期に父は事故死し、14歳になるとき、母を結核で亡くし、後に弟も結核により死亡する。このような悲劇を経て、祖父母のすすめもあり医師を目指すが、すぐに詩に傾倒するようになる。
 不運にも、その後自身も結核であることが発覚する。喀血が悪化し、イタリア療養中に若くしてこの世を去る(25歳没)。当時年下のFanny Brawneと交際中だった。




'This living hand, now warm and capable'

This living hand, now warm and capable
Of earnest grasping, would, if it were cold
And in the icy silence of the tomb,
So haunt thy days and chill thy dreaming nights
That thou would wish thine own heart dry of blood
So in my veins red life might stream again,
And thou be conscience-calmed ——see here it is——
I hold it towards you.




「この手、今はありありとして」

この手、今はありありとして
なんでも掬い取ろうとするが、もし冷たくなったら
もし墓地のこわばる静寂に入ったら
あなたの日々の陽射しになり、あなたの夢見る夜の風になれる
あなたが血の乾いた自分の心臓を欲しがるほど
私の血脈を赤い生気が廻りだし、
それからあなたは無事安らいで ——ほらここに——
この手は君のために。





 以上意訳。
 時季的には、秋についてのもっと有名な詩もあるんですが、そっちはいつかやろうと思う。ところで実は、本作はある未完の草稿に含まれていた断章らしい。なので人物像は定かではない。それでも典型的なロマン主義的な設定になっている。全てが自己投影でありながら、エゴが排除されている。そもそも、死という予期に対する文学を、若くに作ってしまう。キーツの経験があってこその、相手からすれば自分勝手な妄想である。同時にそれが、バランスを保っているのが癖になるところ。


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