見出し画像

「純粋で在ること、添加される思いは優しい。」

純粋で在りたいと思うのだけれど、

あたしはもっと打算的で、


思えば思うほど

どこか頭の中でそれを作ってしまうもの。


在るままの自分とは一体なんなのか?


子どものように悪びれも無く

思ったことを口にして

誰かを傷つけてしまうこと、

それは、あたしの中で
凄く居心地の悪いことだから、


頭で考えて考えて

人の喜ぶを話すのだ。


脚色されたら言葉は

純粋からは少し離れてしまうかしら?


少し盛られていても

その言葉の真意に嘘偽りないなら、

誰かが心地良いならそれで良いとすら思う。


あたしの中のいけないことは、

嘘の言葉。

思ってもみないことを口にすること。


素敵だと思えないものに素敵だとは言えないよ。

嫌だと思うことを喜んでるフリはできないしね。


かと言って

「素敵じゃない!」とあえて言ったりはしない。

嫌なことは....マイルドに嫌だと言うかも知れないな。
 

心の中で凄くざわついても

一旦は飲み込むの。

飲み込んだ言葉は

言語を司る脳までたどり着いて

いい感じの言葉に変わり排出されるから、

荒削りの純粋とは別の物質になる。


あたし、断面は滑らかな方が好きなのよ。


誰と触れても滑らかなあたしは、

誰かも
自分も気持ち良くさせてくれるから。


あたしの中を通って

丸みを帯びフワフワと

何か柔らかなものに変わった感情は

決して純粋からかけ離れたものではなかったのだと気がつく。


あたしの ちょうどいい じゅんすい。


それは優しさを添加した思い。 

添加物が入ってれば純粋では無いの?

大丈夫。

天然由来の思いだから。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?