「おおきに、おかげさんで。」
〜自分が満たされてなければ他人の幸せを本気で願うことなんて出来ない。
よく聞く言葉だわ。
そうでない人もいるにはいるなと思う。
うちの親がそゆ人だしね。
それでも、「おかげさまで」「おおきに」
といつも何かに感謝してさ。
損得で考えている人は
「なんも得せぇへん。」と諌めたけど、
それでもあたしが見た限りでは
彼らは充分に満ち足りている。
うちは決して裕福では無かったけれど、
何かこう見えないもので
いつもいつも満たされていたように思う。
兄弟はそんな風には思っていないようだけど、
あたしは、その感覚しっかり受け継げて幸せだと思っているの。
あたしの運転する人生の列車
道を踏み外すこと100万回、
外し過ぎて片方の車輪がもげたこともあったわ。
けど、その度に自動修正されてきたのは
そんな両親の"おかげさま"なのだろうな。
自分が満たされてないと....
それは何だろう?
お金、パートナー、家族、仕事、
それ以外に満たされる方法は本当にないのだろうか?
あたしは知ってしまったの。
「ありがとう」
人は何よりこの言葉を欲している。
皆、
心のどこかで良いことをしたいし、
心のどこかで感謝して欲しいと願っている。
なら、物質的に満たす前に
自分の身体を
細胞を
「ありがとう」で満たしてみたらええんやないのかなって。
これがなければ
有り余る富も
ステータスも
知名度も
大した意味を持たなくなる。
そして、もっともっとを追い求めることの
虚しさに気がつくはず。
今はそんな時代よね、きっと。
ガンガンやってきた人が
皆んな枯渇するのは「ありがとう」不足なんだろうな。
表面的で事務的な「ありがとう」は
いくらでも聞いてきただろうし。
それでも枯渇するのは、
心のないお礼、次を期待してのお礼しか
受け取ってこなかったせいだわね。
「ありがとう」その裏にも奥にも
なんもないはずの言葉なのにね。
「得」より「徳」
それが
人を、
世界を豊かにするのよね。
だからあたしは
いつも幸せなのだ。
〜おかげさまです。
ありがとう。
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