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その想いに

まぁまぁマガジン23号が手元に届き、すぐには読み進められなかったです。
もったいなくて読めないというよりは、飲みこむためにゆっくりゆっくり口にするという感じ。
表紙から、すでに感じるものが、たくさんあります!!

プリミ恥部さんのインタビューと詩は、食らいつくように読みましたけど!!

改めて、詩という存在の密度の高さを感じます。
文字には表れていない部分。
情景とか感情などだけではないところ。

読者さんの詩も複数掲載されていて、またそれが素晴らしいのです。
インスタライブでも、服部みれいさんとかさいあさこさんがお互いの詩を朗読しあっていましたね。


こんなことを思い出しました。


わたしがはじめて詩を書こうと思って書いたのは(記憶の限り)小学5年生。
詩を取り上げた授業のすぐあとに、わたしは自分の詩を日記に書き綴りました。

当時、そのクラスでは、宿題は多くなかったのですが、日記提出が毎日の宿題となっていました。
(日記が好きな原点はここにあるのかも。)
わたしは、日記なのになぜか毎日タイトルを付けていたのも覚えています。

月に1回、先生が作るクラス新聞に、先生が選んだ日記が掲載されます。わたしも何度か掲載されました。

話は脱線しますが、掲載されたわたしの日記の中でよく覚えているのが、「自信がない」というタイトルの日記。
学級委員とか振られるし、いつも元気いっぱい、明るいとか思われるけど、内面はそうでもない、かと言って自信満々になりたいわけでもないですけどね、という、今、改めて自分で読んでみたい日記ではあります。
なぜ20年以上前に書いた文章を、はっきり覚えているかには理由があり、後述します。

話を戻します。
その新聞に、わたしの詩が掲載されたことがありました。

先生はその詩をわたしに朗読するよう言いました。
わたしは、素直に光栄なことだと思ったかどうかはわかりませんが、ホームルームのときに自分の詩を朗読しました。
そのときのクラスメイトの反応は、「何言ってるのかわからない」「意味不明」というものでした。

脱線話で書いた「自信がない」という日記も、そういえば朗読して、その後、クラスメイトからやたら「自信持てよ!」みたいな励ましがあったのを思い出します。

そのたびに、苦笑いで返していました。
無意識の苦笑いって、気を使ってる感じがするので、きっとわたしはその時に何度即死したことでしょうか!!!


さて、クラスで自分の詩を朗読した後、わたしは詩を書くことは10年近くありませんでしたし、読む気にもなりませんでした。というより、詩の存在すら忘れていました。

数年前、詩が好きだという知り合いに、このエピソードをポロッと話したことがあります。

その人の反応は、「その先生、まるでダメね!!あなたのこと、何にもわかってないじゃない!!!そういうバカな大人のせいで、子どもの感性が潰されるのよ!」という激しめなものでした。

わたしは、その刺激的な言葉に驚愕して開いた口が塞がらず、また同時に冷や汗をかくような気持ちでした。

わたしの担任の先生は、とても素晴らしい方で、今でも、あの方は人格者だったな、とも思います。
聞いた話によると、同級生はその先生を恩師!!と言って憚らず、今でも交流しているそうです。
生徒とは、とことん平等に接してくれていたように見えました。

でも、、、きっとわたしは、その先生とのやり取りで、知らずに感情を押し込めていたのですね。

しかも、その先生との印象深い思い出って、わたしの怒りを駆り立てるものばかりで、思い返しても、あれはなんだったんだ?理不尽すぎる!!というものです。

つっっっっって、このタイムラグ!!!!

あれから20年以上経っていますけどーーー!!!

時短時代にこのタイムラグ……


知り合いからの発言を受けて、そのあとしばらく頭抱えました。


わたしはその後、高校を卒業してから、自分の想いを綴る形で、自然と詩を書くことを再開しました。でも、そのときは小学生の頃にも詩作していたなんて、思い出しもしなかったな。
10代の詩を今、読み返したら絶対に赤面して、のけぞった上に、吐いてしまうようなものでしょうが、もぎたて果実感満載だったんだろうな〜。
捨ててしまったから読み返すことはないのか。。。

話は、まぁまぁマガジンに戻りまして、今号の読者さんの詩を読んで、その時の感情をより広く深く感じさせてくれるような心の動きが起こったのです。

今までならこうして、自分の想い出話を文字に書き起こして、しかも公表するということはしなかったです。。。

まぁまぁマガジンを受け取った瞬間のインスピレーションのことをインスタライブのリハーサルで服部みれいさんに直接お伝えさせてもらいました!!

そのインスピレーションを大切にして、今回文字に起こすことにしました。


教育とはいったい、、、という疑問も浮かびましたが、ここでは書きません。


引き続き、もう少し感じてみます。
タイムラグをなくしていくには、瞬間瞬間に反対のものも含め精確に感じながら生きていくほかありません。

わたしは、もう、そうしていくのです。

また、まぁまぁマガジンの感想は別の記事で書くかもしれません〜!!!

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