いい小説

noteは書き方を教へてくれる。
目次やまとめ、これがあるとわかりやすい。

今の文書は、わかりやすいことが第一なのだ。小説ですらさうだ。誰が読んでも何を言はんとするかがわかる、考へせられたと語り合ふ読者が何を言っても意見がぶつからず、仲良くなれる、それが春樹的な「いい小説」だ。
わたしにとって「いい小説」は、自分には今の世の中に居場所が無いかもしれないと思ってゐる人に、ほんたうに居場所がないことを知らせるものだ。
自閉症とか毒親とかの時代の共通語で語れない人生を送ってゐるといふこと。自分は誰にも理解してもらへないといふ絶望が、現実に友達を作ることを諦めさせて、自室にこもって文章を綴らせるのは、奇妙な話だが、近代小説は、かうして始まってゐる。作家は早晩自殺するものだった。
小説じたいが商業となって、職業としての小説家が定着して自殺しなくなった今、なんで小説を書くかといふことを問題にする人はゐなくなった。
三島由紀夫の『小説とは何か』以来、小説じたいの方法論や本質論について思ひ悩む小説家はゐなくなった。
小説とは何かを問ふ作品は、『ドン・キホーテ』から始まったが、セルバンテスが示唆した、小説とは小説とは何かを作品を持って提示することであるといふ小説の定義は今も生きてゐると思ふ。

芸術は形式だが、形式を自ら作り出しながら、その試みを形式としてしまはうとする異様な芸術は小説だけだ。
まさに、三島由紀夫氏が言葉と現実について語ったメタファー、三島由紀夫氏にとっての言葉(シロアリ)は、言葉が侵食するべき現実(建物)が生まれる前から存在してゐたといふ話は、小説そのものを的確に描写してゐる。

シロアリが建物を蝕むのではなく、シロアリが蝕む過程を逆転させて蝕まれる建物を構築するといふ試みである。


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