キツネとタヌキは仲良く幸せになる

さっきnoteの記事で、キツネとタヌキが出て来る童話を読みました。
優しい文体が人柄を示す、優しい物語。
ネタバレですが、お腹を空かしたきつねが、おばあさんに誘はれてご飯を食べにいくと、おじいさんが「あのタヌキはうまかったな」と棒を片手にニヤリとして「次はキツネだ」とおばあさんに言ってるので、びっくりして逃げ出すといふ展開。タヌキそばにキツネうどんだらうとその時点で予想するけど、もしかして「文学的」な話になってゐて、最後はおじいさんとおばあさんが食はれてしまふ、といふ話ではないかとドキドキしながら読みました。

ハッピーエンドでしたよ。
わたしは、この童話から野暮な人間論をしたいと思ひます。

先づは、残酷さに耐へられなくなったわたしたち。
この童話は、かちかち山を思ひ出しますが、あの話も今はおばあさんが「ばばあ汁」になるといふところは変へられてるものが多いやうです。ウサギの復讐の仕方もエゲツナイ。
強烈にエグい話ですよね。
わたし自身、子供のときに「ばばあ汁」といふ言葉を見てから、それを食べちゃったおぢいさんの気持ちとか考へてしまふたびに苦しみました。今も相当いやな感じになります。これは、男の子のくせに、ものごころつく頃から、昆虫なども含めて生き物を殺せない、殺すのが大嫌ひだったことと繋がってゐると思ひます。
さういふ点に関しては、わたしはかなり異常な感覚の持ち主で、そんなわたしからは、
人間は、なんであれ、食べ物(もしくは娯楽の対象)とみなすと、苦しめること殺すことに残酷を感じることをキャンセルできる動物だ
といふ感じがしました。

昔の1950年前後の日本映画の一場面で、都会の家庭なのですが、夫が生きた鶏を持って帰る場面があります。足と翼を縛ってゐるのを逆さに持って、奥さんに投げて、「今夜はこれを喰はう」と嬉しそうに言ひます。奥さんも「まあ」とか言ひながら鶏を拾ひ上げてゐました。中国では市場で生きた動物が食材として売られてゐるみたいですが、日本でも鶏はさういふ新鮮な食材として売られてゐたやうです。

今、生きた鶏を差し出されて、まあと喜んで料理できる女性は少ないと思ひます。青ざめたり怒ったりするのではないでせうか?
もし日常生活で魚を料理することが一切無くなれば、魚に関しても、同じ感覚を持つのではないでせうか?
わたしたちは、生きてをり足を縛られてもがいてゐる鶏は、きっと、放してやると思ひますが、だからといって、チキンを食べるのをやめたり残酷だと感じたりするわけではありません。
これは考へてみれば偽善的です。わたしたちは、
「生き物の命を頂いてゐるのだから、大事に食べよう」
などと子供に言ひますが、頂くとは、まだまだ「生きたい」と思ってゐる生き物を「食べたい」から殺してゐるといふことに他なりません。

それで、だいぶ昔ですが、小学校で豚や鶏を子供たちに一年ほど飼はせて、すっかり子供たちになれた頃に、殺して食べさせてゐる先生がゐました。少し流行となって、全国で何人かさういふことをする先生が出たようですが、いつのまにか、やめさせられたやうです。
子供に大人も直視できない真実を無理やり見させるといふのは、性教育でも明らかなやうに先生の悪趣味といふか変態嗜好でしかないので、やめさせられてよかったと思ひます。

わたしたちは、食べる対象、弄ぶ対象にすれば、動物に対して何をしても残酷を感じません。
たとへば、競馬。自分が馬に生まれて競馬の馬にされるとしたら嬉しいでせうか?
人間は動物と接する時、その動物の在り方を完全に管理します。そのことに疑ひどころか、管理して全く自由を許さないでゐるといふ自覚もありません。
食肉用からペットまで家畜にされた動物(犬と猫は自ら人間の生活の中に入ってきたので人間の都合で家畜にされた動物とはまた違った見方が必要かも)身になって考へるといふことは絶対にしない。

動物の身になって考へることを人間は絶対にしないのです。熊に喰はれた人間の身になって考へられても、アイヌ人の宗教的妄想の犠牲にされたり(イヨマンテなんて毛皮まとってた原始人ならともかく、中世以降もマジでずっとやれてきた民族って、魔女狩りした民族と同じくらゐイカれてるとわたしは思ふ。誰か1人くらゐ、これって変ぢゃない?俺らの妄想ぢゃね?って思はなかったんかい?)人間に掌から内臓まですべてを喰ひ散らされて、おまけに毛皮をむしられたりと人間からは散々な目にあってる熊の身にはなれない。

人間の立場から、競馬の馬や盲導犬の犬は人に喜ばれて喜んでるといふ見方はできる。なんならなぶり殺される牛も、牛肉用にぼてぼて太らされて飽食してゐる牛よりも、短くはあっても充実した生を観衆の感嘆の中で全ふして死ぬことができる闘牛は幸せだ、とかいったオルテガみたいな、なんかそれらしい哲学的解釈をすることも人間はできます。

人間は動物に対して、他のどんな肉食獣よりも残酷で冷酷で貪欲ですが、そんな救ひ難い人間性の真実に目がいかないやうに、わたしたちは、キツネやタヌキが幸せになる童話だけを読みたいのだと思ひます。

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