男であることを受け入れて覚悟を決めることからしか、男の人生は、始まらない


私にコントロールされることを望んでくれる男性たちは不思議な生物。。

しかも、彼らはコントロールされてるとは全く感じず、自分が守っていると信じている。

ああ、男の子って不思議な生き物。

『白いモッコウバラが今年も咲きました。咳き込みが始まり夜も眠れません(泣)』@まりりん~毎日は可愛らしい可笑しみに満ちている2024年4月21日

まりりんさん、このことは国家機密レベルの絶対秘密。

この秘密には女性ですら気づいてない人が多くて、むしろ男性みたいにコントロールされてると思はないでコントロールされてる人間になりたいらしい🤭
せっかく女の身体に生れたといふのに、それをスーツに包んで男みたいに資本主義の社会で、社会的な存在になって働きたいとは奇妙な欲望だ。男性とは貨幣経済社会の奴隷なのに🤭
実際、昔から女性が、この貨幣経済社会で誇りある仕事にしてゐた先生業の人たちは、何かといふと、自分たちがサービス残業の地獄にゐると嘆いてゐる。

男性がコントロールされてると気づくことなく男性をコントロールすることのできる女性は多くないのかもしれない。心身の才が天与されてゐる必要があるやうです。

だから、この秘密に女性ですら気づかないといふのではなく、男性本人がコントロールされてると感じないまま男性をコントロールできる、そんな女性は多くないといふことなのかも。
たしかに、男性をコントロールするには、外見やら気質やらなにやら、すべての天才と同様、努力で形成できないものをあらかじめ生まれ持つ必要がある。

たぶん、魔性の女みたいに「天然」にさうなってる面が多いのでせうね。
まりりんさんに、天然といふ言葉を使ふ人は、本人も気づかないまま、まりりんさんの女の中に、何か人の意思ではどうにもらない、得体の知れないものを感じてる、やうにわたしには思へます。

男性は改造された性だから規格品だけど、女は生まれながらにバラバラで、言はば、不公平だと思ひます。
不真面目な神がふざけて造ったとしか思へない女から、美の神の傑作だとため息の出る女まで、神々が創造を弄んで、女といふ肉体を生み出してゐるのだらう。
女の一生の在り方は、その肉体がどう造られたかで生まれたときから決まってゐます。けれども、男性の身体と違って千差万別、バリエーションが豊富なために、『女の一生』といふ物語は、悲惨、平凡、華麗・・・、女の数だけ書ける🤭

男の人生は、
腰抜けの人生か、さうでない人生か、
その二種類しか、無い。厳密には、
[±腰抜け]だから、一種類。

腰抜けでない男は生きる。行動する。
さうでない男は言葉に縋る。
書いたり喋ったりずっと批判か言ひ訳か愚痴で一生を過ごす。
「女の一生」が多種多様なのに、男性には、あまりにも、生き方に選択肢が無さすぎますね。

今は、生きることを楽しまなければならないといふ強迫観念が世の中を覆ってゐますが、
生きることを楽しむためなら、男に生れないに越したことは無い
男はつらい。
男であることは、幸福とは対極にある。

男であることは、常に存在の欠落感であり、存在への羨望であり、(なる統合された生命体)から切り離された孤独と不安です。
これらは男性の性欲の本質でもある。
欠落と不安を埋めたくて必死で腰をふる、あの様( ´艸`)

欠落と不安を、つまり男性の性欲を、精神エネルギーに変換して行動すること以外に、男性が人間として生きる道ありません。さうしなければ、一生ピストン運動🤭

男なら(あの時の女のやうな、泣き叫んで手足をバタバタふりまはすやうな失神さながらの快楽とはまったく縁のない)寂しく哀しい男であることを受け入れて覚悟を決めることからしか、男の人生は、始まらない。

男に生まれたことは、現代社会では、明確に、不運であり悲運であり、納得のいかない不合理であり、実存的不安の極みである。

だから、トランスする男性は今後爆増すると思ひます。トランスしないまでも、女みたいな男、これまでオカマと呼ばれてゐたやうな男が多くなる。オカマが人を侮辱した言葉だから差別用語にされて禁止されたのは、女の腐ったみたいな男といふ意味で、男の有様のほんたうのことを伝へてゐるからだと思ひます。
女は生ものだから足がはやい。すぐに異臭がしてくる。腐りだしたらこれほど醜悪なものはない。

男は性別にこだはって男であらうとしないと精神が腐る。へんな匂ひがしてくる。計算高くて小賢しくて神経質ですぐに鬱病になっていつも奇妙な笑ひ顔をして空虚感を抱へてゐる、ああいふ男たちになる。

性別にとらはれたくないといふ女の腐ったみたいな男は増える、すでに増えてる。

日本の女たちも、もうすぐ、西洋人みたいに乳房を半分見せて動物的に女であることを誇示しながらオフィスで働き始めるだらうけど、さうしてゐる間に、男性は心身ともになんとか動物的に男くさいものを消し去って、女みたいにならうと必死になると思ひます。
女みたいになれば、女のやうに人生を楽しめると信じる人が増えると思ひます。

女のやうに人生を楽しめるとは、つまり、今の言葉でなら、
女のやうに幸せになれる
といふことです。
男性は幸福には無縁の性(これはセックスの時の絶頂感が無いのと繋がってる)ですから、論理的に言って、男性といふ性別を拒むなら、幸福を追求しなければなりません
これは、現実の現象を見ても、トランス女性となって女性の絶頂感を味はいたいといふ男性たちの、性転換の動機と、きれいに、重なってきます。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?