基底欠損について


幼い僕に向けられる祖母の冷たい視線、そこから守ってくれる母の温かい視線、ようやく僕は思い出しました。

この視線、この母親からの眼差しがあれば、自己の基底は揺るぎない。
言葉を話し出してからのさまざまな「生きづらさ」によって心が上下左右に激震することがあっても、基底はびくともしない。

母親の眼差しは、この基底を、力をもいれず、ただ微笑もて、「私」の心に築く。

そして、この母親の眼差しがあやふやだった人の心の基底には欠損がある。

この欠損を埋めるものはないが、心としては、アルコール、セックス、女のカラダを持ってゐるのなら露出、それがない男に生れてしまってゐたら窃視もしくは性器の露出などによって女の視線をなんとか自分に向けやうとするだらう。
いろいろな方法はあるが、欠損は決して埋まらない。

穴が空いてゐるだけでならまだしも、ここから基底不安が湧き出すのでやっかいである。

カレン・ホーナイといふ精神分析医によると、
基底不安とは、敵意に満ちた人々に囲まれてゐるといふ不安。
だから人との関係を怖れて孤独がちであり、その孤独感から神経症になる。

誰にといふのでもなく何にといふのでもなく、生きてゐること自体に常に感じてしまふ不安の源泉は、幼児期の母親との関係から生じた基底不安にあるとした。

かうした根源的な不安を誤魔化す方法は、いろいろある。
心理カウンセリング、宗教、チャネリング、占ひ、…。

これらを使って人の心の病を治したい死にたい人を救ひたいと思って献身的に活動する人もゐる。
ただ、そうして活動してゐるといふことは、その人の欠損は埋まってゐないといふことでもある。
あくまで自分を助けるために人を助けてゐる。実のところ、自分のことしか見えてない。
カウンセラーもスピリチュアリストも占い師も、人の悩み苦しみを扱ってはゐるが、たいていの人は、菩薩ではないのだ。

それだから悪いといふわけではない。場合によっては、誰かが助けられたりして、お金がまはる。さうして結果的にみんなが満足ならそれでいい。
心理やスピの世界はそんな感じで、誰かの役に立って誰かが多少儲けるので、今も続いてゐる。

けれども基底欠損は埋まってない。
そんな世界にゐる人たちの心の底は、抜けてゐる。

この世には、とりかへしのつなかいこともあるのである
それが母と子との間でも起こるので、近頃は、母親となる女が減ってきてゐるのだと思ふ。

女である自分だけにそんな重大な責任が負はされる、つまり母親であることを強いられるのは、たしかに、理不尽だ。
理にかなってゐない。

だから、これからは
①男にも育児をさせて、
ゼロ歳保育の保育所も完備させなけばならない
のだらう。

ただし、
さうすることで、基底欠損を持たない子供たちが育つのかどうかは、やってみないとわからない。


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