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運転免許取得の思い出

私が車の運転免許を取ったのはいま住んでいる宮城県栗原市に引っ越してからで、年齢も50歳近くになってからでした(;'∀')

それまでは神奈川県横浜市に住んでおり、今は知りませんが、鉄道も線によっては午前1時ころまであり、始発も午前5時ころ、バスも路線によっては夜9時過ぎまであるなど車をあまり必要としませんでした✨

最悪の場合は割高にはなるがタクシーも走っています✨

でもここは違います! バスは一日に9往復程度、鉄道も21時ころには最終となる💦

タクシーも10時ころには帰ってしまいます💦

周りは田圃Σ(・ω・ノ)ノ!

そこで今回は必要に迫られ私が運転免許を取った時のことなどを、学科ではなく実際に構内の教習を含め運転した時の体験談を書いてみます!!

ほぼ学科が終わり始めて運転席に座った時、隣の助手席から見るのとはまた違った光景✨

当然ながら目の前にはハンドルとメーター類がいやでも目に入ってきます💦

エンジンのかけ方を教官に教えてもらい、サイドブレーキを外し、シフトレバーを動かすとゆっくり走り始めました!!感激!そうです!!
私はオートマ(AT)車限定です!!

ハンドルを回すとその量(角度)に応じてその方向に車も曲がってくれるのも当たり前ですが感動しました(;^ω^)

大変だったのはバックの練習、どうしてもまっすぐバックできず注意されてばかり💦

さらに構内のコースで運転していても、どうしてもまっすぐ走ることができず、フラフラ、ノロノロ・・

すると教官から「遠くを見て走りなさい」の指導💡
「そうか!」と思い遠くを見て走りました(@_@)

するとまた教官の声!!「トノムラさ~ん。どこを見て走っていますか~ 車はね~空を飛びませんよ~!! 走る道路を見て走りましょうね~!!」

弁解しますが決して私は”空を見て”走っていたのではありません💦

こうしてどうにか仮免の受験ができるようになりましたが、ここで溝に落ちて(ご存じのように教習所ではごく浅い溝が作ってあります)仮免の試験は終わり、つまり脱輪という”事故”を起こしました!!

その後何度かさらに練習を重ね2回目には合格できました✨

この時少なくとも一度は不合格になっているそこにいた”仲間たち”と「受かったア~!」と大はしゃぎし、まわりにいた教官とか事務の人に笑われたのを覚えています(;^ω^)

早速当時働いていた職場(老人ホーム)にも連絡!!
帰るとスタッフはじめ利用者の人たちから「オメデトー」の拍手をいただきました!!

数日して仮免の免許が届きましたが「お持ち帰り」できるのかと思ったら教習所の私のファイルに挟み込まれ、持ち帰ることができなかったのが残念でした、自分の仮免許証ですが触っても中に何が書いてあるかも見ていないのです。

こうして初めて「仮免」のサボをつけて公道を走ることになりました!!
教習所内ではせいぜい20キロほどで走っていましたが、初めての公道しかも制限速度50キロ💦
「素早く速度を上げなさい」私にとっては新幹線を運転しているような(本物を運転したことはないけれど)超高速💦

いつもの車とエンジンの音が全く違う!!
「これが同じ教習所の車か?」

と思っていると時々横の教官にブレーキを掛けられ、

「アッ、いつもの(教習所の)車だ」と安心するのでした!

時速50キロまで速度を上げたところで教官から「60キロで走りなさい!!」

「でも、ここは制限が50キロなのでは?」

と聞くと「流れに乗りなさい!!10キロまでは速度超過してもかまわない(違反にならない)」

そんなの初めて聞きましたΣ(・ω・ノ)ノ!そうなんだ!

こうして路上教習と路上の試験もどうにか合格し免許センターで学科試験に臨むことになりました!!

実はここでも一度不合格となり、2回目に本物の免許証を手にすることができました✨

早い人は数か月で取ってしまうそうですが私の場合若くはないこと、そして老人ホームの勤務体制(ローテーション)の合間に通っていたため1年近い時間がかかりました💦

最後のころは教習所でも私の状況を理解してくださっており、優先的に教習させてくださるなど配慮してくださいました(^^♪

免許を取ったあと友人に報告したところ「これで交通事故予備軍がまた増えた」とのこと(゚д゚)!

反論できないこの悔しさ!確かにいろいろありましたが・・・

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