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ウサギとカメ

幼い頃、体が弱かった。よく熱を出したし、喘息だったし、常に鼻づまりで鼻たれだった。アレルギー体質で、敏感肌、よくでき物ができては化膿していた。また、お腹を冷やしやすく常に下痢がち・・・。
どうして自分だけ、こんなに痛い、辛いのだろう、何とかして! と、天を仰いで神に訴えるような気持になった瞬間が幾度もあった。
体の健康のことのみならず、精神的にも学校も勉強も基本的に嫌だった。ある時期は先生、またある時期はクラスメイトがどうしようもなく大嫌いだったりもして、月曜日の朝から、早く土日よ来いと願う習慣をもっていた。

前回、袋小路人生ということで、小中高12年間、苦しかったことについて触れた。また、そのような中でも、何とかストレスコントロールし、自分の心を持ち直し、人生を捨てずにこれたことについて振り返ってみた。

まず、私は好き嫌いがはっきりしている方だと思う。この性格は良い側面もあるがとても悩ましい。好きなものに対し歯止めをかけられないし、嫌いなものは好きになれない。
そうなると嫌いなものを避け、逃げるしかない。どうしても逃げ場所が必要となる。

私の逃げ場所は、
1.優しい母親だったときもあった。
2.日が暮れるまで遊んだことや春夏秋冬で移り変わる田舎の自然の情景だったこともあった。
3.部活(スポーツ)に打ち込むということもあった。
4.音楽や漫画、映画だったということもあった。
5.本やTVなどで読んだり、聞いたりした偉人の歩みだったこともあった。

1.2.は既に過去の投稿に少し出てきているので、今回は、3.について、少し触れたい。

まず、私は小学生の5年から、野球チームに所属した。みんなよりも遅れて入ったため、下手くそでここでも馬鹿にされた。
この頃から私は人よりできないことが多いくせに、「負けず嫌い」であるということを徐々に自覚するようになる。
私が先発出場できた試合は、6年生の最後の試合で2軍のチームだった。フォアボールで出塁するも緊張して、サインを見間違え、盗塁してアウトになったりなどの失態もあったが、レフトの守備でライナーの長打性のある打球をジャンピングキャッチできた。
実は緊張したり、ファインプレーがでたりした原因は共通している。それは、毎日休まず練習しているということを見ていた監督さんが、背番号だけは1軍メンバーに渡すものを私に与え、期待してくれたということであった。私はすぐ成果はでなくてもコツコツやることで、良い現象が起こるという「信じる気持ち」を身に付ける。

中学はバンドボール部だった。幾度か全国大会に行った実績もある強豪校で、先輩からの伝統的なきつい練習メニューがあり、ふるいにかけられ、入部者約40名ほどが17名になった。私は生き残った1人だった。しかし、残念ながら文句なしでレギュラーというところまで、行き着くことはできなかったが、ここでも練習を休むことなく、コツコツ取り組んだ。県1位となったある大会の実績により我が中学は県強化選手となり、私もその1人になれた。
そして、病弱で運動オンチだった私が、気付けば健康になっていて、スポーツテストでも学年で上位近くまで上り詰めていた。

高校時代、知り合いに誘われ、ボクシングをやった。市の体育館が運営するクラブで体育館内に練習場があり、月謝が安く、教えてくれるのは最小限でジャブとストレートのみ。あとは縄跳びとシャドーボクシングと走り込み中心の練習を、各自でやる感じだった。大会に出場することとなり、やるからには勝ちたいので、ある時期、過酷に自分を追い込んだ。しかし、当時、地元のボクシング人口自体が少ないという中、その市の私の階級に私以外はおらず、階級違いで体重が3キロほど重い、格上とも言える人と試合を組まれ、結果ドローということだったが、その結果がなぜか、市大会優勝という結果に化けて、新聞に名前がでることとなる。

野球、バンドボール、ボクシングで共通していたのは、思いもかけない評価を得る、即ち、「棚ぼた経験」がそれぞれあったということ。
それに裏付けされているのが、コツコツ頑張れば何かが起こるという、「信じる気持ち」である。

ウサギとカメという物語がある。
強運と言われる「両手ますかけ」相を持つ私は、うさぎのようにジャンプできる存在に憧れるも、ここまでの生き方はカメのようだった。

挿入ソング:


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