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自分のファッション承認欲求について考えた話

自分はファッションで他者から認められたいのか

自問自答ファッション教室に参加した時のこと。

あきやさんからファッションの承認欲求について質問された。他の人から「おしゃれだね、素敵だね」と褒められたいかどうかということだ。

その時、私は以前に友達とのランチ会に祖母の形見のダイヤの指輪をしていったところ、「ダイヤなんて好きで魂を持っていかれないでね」と冷たく言われてすごくショックを受けた話をした。祖母との思い出にケチをつけられて、ずっともやもやしていた件だ。もちろん、自分から指輪の話を始めてないし、自慢もしていない。同業でお給料も同じくらいだし、友達も自分の好きなことにはお金を使う人だ。

あきやさんに、今後その友達に合わせるのかを質問されて答えはイエスだった。今は会うときに極力アクセサリーを省いている。彼女に合わせたいのではなく、自分が傷つきたくないからだ。

あきやさんからの宿題

そこで話が終了かと思いきや、「体調が良いときに承認欲求についてパンドラの箱を開けて考えてきてください」の宿題が出席者全員に出た。

友達とのエピソードは考えてもそこまでだったが、その後、もっと昔のファッションに関する承認欲求の深い根っこを掘り当ててしまった(別に暗い話ではない)。

その1:ハウスマヌカンが怖かった

今から約30年前。私が新卒で入った職場はブラックで(JJGの皆様にも苦労されてる方多いですよね)、休みは月1,2回のみ、終電・始発の利用も多く、夜中に帰宅してすぐ呼び出しとか、泊まり込みも普通だった。24時間戦うことが美徳とされた時代だ。いつもへとへとで化粧するより1分でも多く寝ていたい生活だった。化粧が求められる職場ではないので、ほぼすっぴんで過ごしていた。

そんな折、重要な会合に出ることになって仕立ての良いスーツが至急必要になった。百貨店が開いているぎりぎりの時間に滑り込み、大人気だったM◯x Maraへと向かった。昔は今ほど仕事で着られる女性用スーツを扱っている店がなかったので、選択肢が少なかった。

そして当時は販売スタッフさんをまだハウスマヌカンと呼んでおり、人気の職業で憧れの対象だった。私はその日、残念なことに気位が高く高飛車なハウスマヌカンに行きあたってしまった。へろへろですっぴんの若い女が入ってきたことに、明らかに彼女の機嫌は最悪だった。

試着した服がやや大きかったので、合うサイズがないか質問したら、「あなたに都合のいい服なんてありません」とばっさり切られた。それでも閉店までに急いで買わなければならなかったので、仕方なくその服を一括払いで購入。するとマヌカンは服を畳みもせずに紙袋に直接押し込んで渡してきた。あまりの仕打ちに悔しくて悔しくて半泣きになったが何も言い返せずに帰った若かったあの日。

いま振り返ると「そりゃそうだよね」と自分でも笑い話にできるが、あの後10年くらい百貨店で服を買えなかった。そして今でもちょっと緊張する。前回投稿したY'sの話を改めて読んだら、店員さんに拒否されるのが怖くてわざわざY'sに寄せたコーデを着ていき、認められてほっとしたことを書いていた。承認欲求恐るべし。


その2:カフェやレストランで良い席に座りたかった

オープンカフェは今でこそたくさんあるが、昔は道交法に触れるとかなんとかでほとんどなかった。1990年代半ばに青山にオープンカフェができて、フランスのようだと雑誌などで特集されていた。私もテラス席に座って街行く人を眺めながらコーヒーを飲んでみたい。

しかし、その夢は叶わなかった。テラス席に空席があるのに、私は店内に通された。目立つテラスにいるのはモデルのように美しい人たちだけ。地味な人は店内。お願いしても駄目なんだろうな、来るだけ無駄だったと悲しい気持ちだった。

ヨーロッパへの海外旅行でも似たような体験をした。円高で大勢の日本人が海外旅行をしていたころの話だ。レストランへ入るとアジア人というだけで店の一番奥のトイレ前のテーブルに通される。屈辱だった。

今は日本でもヨーロッパでもそんな事例は少ないだろうけど、あの頃の体験は「VIP待遇を望んでいるわけではない。人として大切に扱われたい」という気持ち、本音を言えば「なめんなよ」という気持ちに結びついた。

そして今は普通の席に通されるようになり、ほっとしている自分がいる。

私はマダム感が欲しかった

自問自答ガールズさんの記事を読むと、「マダム感を出したくない」という方が一定数いらっしゃることに驚く。上述のエピソードの他にも、私は小娘扱いされて悔しい思いを仕事でもしてきたので、マダムの落ち着き、迫力、優雅さが欲しいと思っていた。「公爵夫人」のコンセプトにはそんな願いも一部込められていることに気付いた。気品と優雅さを身につけ、外見も整えることで他者から大切に扱われたいと望んでいる自分がいる。

権威に弱いが自由でいたい

余談だが、JJF教室で「もし毎日5億円手に入るなら何をしたいか」と問われ、私は「ヨーロッパの田舎に小さな領地を持ってワイナリーを経営して美しいぶどう畑を見たり美味しいワインを飲んだりして過ごしたい。自分自身でワインを作りたいわけではないので『こうしゃく夫人』になりたいです」というような話をした。

田舎の小さな領地、という話をあきやさんは覚えていてくださって『侯爵夫人』という漢字を宛ててくださった。さすがあきやさん、読解能力と漢字変換能力が高くていらっしゃると痺れた。

でも私はこの年でまたお偉いさん達の顔色を伺いながら過ごしたくないので、お金があって平和な世界という仮定の、田舎の小国の『公爵夫人』になることにした。

JJF教室で明らかになった「権威に弱い」傾向もこのコンセプトに表れていた。誰におもねることなく、自由でいたい。ではなぜ女王でないかと言うと、大き過ぎる権力には大きな義務が伴い、自由から遠ざかるからだ。

結論

自分の中のファッション承認欲求について深掘りした。30年前からの「人は見た目で判断される。自分も大切に扱われたい」という承認欲求が知らず知らずコンセプトの「公爵夫人」に反映されていたことがわかった。今後この悔しさを昇華させるために、コンセプトに沿った制服づくりと立ち居振る舞いのブラッシュアップを続ける。

頑張って承認欲求のパンドラの箱を開ける宿題を終わらせた。
ミッション コンプリート。

#自問自答ガールズ #自問自答ファッション

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