いなくなる寂しさ

ネットにこうどうでもいいことを書くくらいだから、自分も転がっている文章をよく読むのですが、その中でもなんとなく良いなと思ったブロガーさんが何人かいます

正確にはいました、という表現の方が正しいのですが

というのもみんな更新が止まってしまっているのです

数ヶ月レベルの人から、もう数年音沙汰のない人も

文章というのは、その人自身から生まれたものですので、文字の集合それ自体は冷たいようで、その人の言葉の使い方や文章の癖、さらには日を追うごとに明言されずとも透けて見えるその人自身の生活など、大いに人間味を持っていて読んでいて非常に楽しいのです

別に意識をしているわけではなくても、魅力的な記事を書いてくれる人には自然と何度も戻ってくるわけで、単純接触効果も加わって、文字を隔てているにも関わらず勝手に親近感を覚えます

相手にとっては、私は無数のオーディエンスの1人に過ぎず、もしかすると相手を誰ひとり意識せず、ただの日記のように書いているのかも知れません(私もそのように書く人のうちの1人ですが)

しかし、私にとってはかけがえのないひとりの作家さんなのです

更新が止まると、そんな大切な人が別れも告げずに去っていったような寂しい気持ちになります


考えてみると、なかなか感想も届きづらい中でひたすら見えない観衆に向かって書き続けるのも大変かも知れませんが、私としてはみなさんに戻ってきてほしいと思っている次第であります(DJ DJ 〜届かぬ想い〜)


この一対多の関係性はあらゆる関係性に言えることですね

私の親友はあなただけだけど、あなたは友達がたくさんいるし親友と呼べる人もたくさんいるんだろう

私にとって大事なのは恋人のあなただけだけど、あなたは仲のいい女友達もたくさんいるんでしょう

見えない人間関係は、ひとたび自信を失えば、すぐに牙を向きます
こわいこわい

こういうのって見えないからこそ悪質なのであって、ある意味で幻想に殺されるようなものですよね

当の本人は特に何も考えていなかったりするのに、人間の想像力妄想力は無限大です


おやすみー




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