1日1000字チャレンジ#22

「時の人」
ある時に有名になった人のこと。過去になった人のこと。
そして、なかなか薄れることのない記録を作り出した人のこと。
まただ、
とため息をついた。
幼いころから知っている人は何ともないのだが、新しくであう人からは
「あぁ、あの人の」と枕詞を添えて呼ばれる。
そのことに、少しのいらだちを感じ返事が不愛想になってしまうのが悩みだ。
時の人。と呼ばれる人を親に持っているとどうしても先入観込みでみられることがいままでも多々あった。そのたびに、自分に思い期待がのしかかっているように感じられて、気が重かった。
絵を描けばうまいのだろうと言われ、歌も、テストも当然のように期待されすこしでも駄目だと幻滅したと勝手に言われる。
それでいて、肝心の時の人ときたら故人なのだ。
そう、すでにこの世にはいない人と比較され続けるのが自分の業であった。
記憶に残るいわゆる時の人は、自分にとってはなにも変わらないただの親、一人の人であったわけだが、周りはそんな当たり前を期待しない。
英才教育だったり、高額な旅行だったり、人とは違う、そんな家庭を期待する。そのために時の人が死することになったとしても。
「旅行に行こう」
といったのだ。珍しいことだった。週刊誌で言われているのと違って、家にいることが好きな人だったのに、レンタカーを借りて、いつもはスタッフさんだとかにしてもらうくせに恰好つけて運転をしだした。
天気も問題がなく、運転にも特に異常はなかった。両親もにこやかに談笑していて自分は後部座席に座ってまどろんでいた。
あまりない長距離の移動に眠たくなり、こくり、こくりと舟をこいでいてそこに両親の笑う声が聞こえてきていた。
それが、急にブレーキ音が聞こえガラスの割れる破砕音に目を開けば、濡れた手に腕をつかまれて引っ張られる。痛みを感じるくらいの強さで引かれ、抵抗するが有無を聞かせぬほどの強い力だった。
次に気が付いたときには道路端におり、母が自分を抱きしめていた。
レンタカーがひしゃげていて、ガラスにおびただしい血が見て取れた。火災は起きていないが、周りの大人たちが叫んでいる。
父親の姿はどこにもない。
「お父さんは」
母に向かって問いかけたが、周りの喧噪に飲まれて聞こえていないようだった。
その日、ただの父親だった人が、時の人と呼ばれることになったのだった。
例えばこの件がなければあの人は今も活動をしていて新たな作品を作り出していたかもしれない人だったのだろうと思うがなくなってしまえばただの時の人でしかない。

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