国語(読解)において考えるということ

勉強するということにおいて、大事だと思っている考え方があります。
それが観察と実験です。
指導経験の中で、
生徒が自ら考えるということの大事さを実感しておりますが、
考えるということは、
具体的には観察を実験を繰りかえすことだと感じております。
主に理科の授業において、観察は実験と言葉が使われますが、
この考え方は他の科目においても、
読解でも必要な概念だと私は考えます。
観察とは二つの字の組み合わせです。
「観」とは「客観的にものごとを見る」、
「察」とは「推し量る・思いやる」と言う意味です。
目に見える情報と、目に見えない情報の両方を読み取るという意味です。
読解においては、客観的に文章を読みつつ、
それでも不明な部分は前後の内容、
または一般常識に照らし合わせて推理していかねばなりません。
物語においても、登場人物の心情は明確に語られないことがほとんどです。
その場合彼/彼女の心情をこれまでの情報などから
「察する」必要があります。
そして、読み取った自分の考えを、試行錯誤しつつ、
適切な言葉や文で表現することが求められます。
フィードバックを受けながら、または自分の答えを読み返しながら
修正し、もう一度考えるという「実験」がここでも必要になります。
読解問題で頭を使うということは、
観察力と実験力を磨くことだと考えます。

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