認めること

私がうつ病を患って5年以上経つ。
最初の診断は適応障害。
当時、とある揉め事の真っ最中で仕事も忙しくかなり疲弊していたのを覚えている。
そんな私には、その揉め事がとてもツラく、何をしてても頭の中はその事でいっぱいだった。(よく医療事故を起こさなかったもんだわ)

職業的に笑顔を取らざるを得ない。
気づけば仕事以外で笑うことがなくなっていた。
いや、おそらく仕事中は笑顔の仮面を被っていたのだろう。
日に日に自分から感情というものが消えていくのを実感していた。
半ば発作的に駅のホームから入ってくる電車に飛び込もうとして、見知らぬ人に助けられたこともあった。

自分の弱い所を人に見せるのが嫌いな性分が災いして、私は最悪な状態になるまで病院に行くことをしなかった。
というより、自分でそんな判断もできなくなっていた。
無理やり家族に病院に連行され、適応障害の診断を受け1ヶ月の自宅療養を言い渡された。
それでも諦めきれなかった私は、医者の言うことも聞かず1週間で職場に復帰しようとした。
通勤電車の中で強烈な動悸と手の震え、過呼吸に襲われ、立っているのが精一杯。
もちろん仕事ができる状態ではなく、すごすごと帰宅し、ようやく諦めがついた。

そこから3ヶ月間の自宅療養を終え、仕事に戻ったが以前のように仕事が捌けない。
自分にイラつきを覚えながら必死に仕事をした。
半年も経たずに今度は抑うつ状態と言われ、また自宅療養に戻った。
無理がきかないんだと頭ではわかっていても、どこが自分の限界なのかわからない。
忙しい業務でどこからがオーバーワークなのかわからない。

そんな状況では病院で働くのは無理だと思った。
ふと、田舎に帰りたいと思ったのは、発症して3年ほど経った頃だった。
病院で働けないのであれば、医療行為がない所で働くしかなかった。

それでも、またオーバーワークで抑うつ状態になり、またもや自宅療養を言い渡された。
私はいったいどうすれば自分の限界を知り、自分を認めることができるんだろう。
抱える荷物を人に分けることができれば楽になれるのかな。
自分はこうなんだと素直に認めることができれば楽なのかな。
つまらないプライドなんて捨てたはずなんだけどな。
どこか頭の片隅に、自分はこんなんじゃないって思っているんだろうなぁ。

あと1週間
頭の疲労をとることに専念しよう。
鬱は脳みその疲労。
回復はゆっくりだけどね。

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