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人生の目標って必要?と思えた2023(テーマ:去年の感想と今年の抱負)

皆さんこんばんは🌟ゆうかです。
もう1月も終わりですが、今回のテーマは「去年の感想と今年の抱負」です。
久しぶりの更新となってしまいましたが、ぜひ楽しんで読んでいただけたらと思います☻

さて、私にとって2023年は、自分と向き合うことの必要性を問い直すことができた年でした。
私はこれまでの人生で、色々なことを周りから怒られない程度になんとなくこなして生きてきたという自覚があります。
そのため、生きる上での目標や夢などを特に持たず、人生の意味などもあまり考えずに過ごしてきました。

そんな中、私は昨年度就職活動を始めました。
その際、面接やイベントなどでこのような言葉を聞くことが多くありました。
「数十年先にどんな状態でいたいか」
「社会の中で、自分はどのような価値を発揮していきたいか」
「自分の理想とする人生を実現するには、今どうすべきか」

もちろん、私はこのような言葉をかけられたとき、答えることができませんでした。
同時に、なぜこんなにも大きいスケールで人生の目標を見出すことが重視されているのか疑問に思いました。

確かにこうした目標を持つことは、予想外の事態が起きた際に自分にとって良い方向を選べるというメリットがあると思います。特に、大学という限られた空間から社会というある意味無限に広がっている空間に移行するときには、頼れる道標となるでしょう。
しかし、大きなスケールの中で自分自身を見つける行為には、底がないと思います。
就活の自己分析の過程で、自分の存在意義って何?となってしまった人、いるんじゃないでしょうか。(私もその一人でした・・・)完璧に理想通りの人生なんて実現可能なのか?今思っていることが将来変わる可能性もあるのではないか?自分が社会で発揮できる価値なんてあるのか?あったとして他にも発揮できる人はいるのでは?だとしたら自分の存在する意味って何…?といった具合に、です。
人生をより良くするための目標発見のはずなのに、振り回されて苦しんでしまうのは本末転倒のように感じます。

2023年、こんな感じのことを繰り返す中で、私は人生を通した目標を見つけることを諦めました。
なぜなら、優先すべき価値観は人によって違ってもいい、と気づけたからです。
自分と向き合い続けて、生涯や社会全体を見据えた自分の存在意義を見出すことで毎日がより良くなる人もいる。
一方で、自分から少し距離を置いて、目の前の意味のなさそうなことも含めて愛することで日々が楽しくなる人もいる。
たまに気が向いたら、自分と向き合うもしくは距離を置いたりと、方向転換してもいい。
世の中にはこれだけ多くの人がいるのだから、みんなが同じ生き方する必要なんてない。自分ができない生き方は誰かがやってくれるはずだから、後ろめたさもいらない。
最近はこんな風に考えています。

昨今は、自分と向き合って人生の目標を見つけ、一度きりの人生を後悔なく歩むことが良しとされる風潮がある気がします。
平均寿命が延び、生きている時間が増えたからこそ大きいスケールでの目標があった方が生きやすいのかもしれません。
もしくは、はなさんの1月初頭の記事とも関連しますが、見通しがないのが不安なのかもしれません。

私もかつては自分と向き合い続けることを大事にしていましたが、少しずつ自分と距離を置くことで(例えば、好きな学問や本にたくさん触れたり新しい人と話すこととかに「我を忘れて」夢中になったり)日々が楽しくなったと感じています。
楽しさだけを優先するのは短絡的かもしれませんが、これらの好きなことを通じて得た知見で人を楽しませられるようになったりとの変化もあったので、無駄ではないのかなとも考えています。
そのため今年は、自分に合った生き方・考え方をより柔軟に選択していけるようになりたいと感じています☻


ここまで読んでいただいた皆様ありがとうございました!
皆さんにとって新たな気づきがあれば幸いです✨

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