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桜屋敷を通る風/第16話

16.変わりゆく季節

 空の青さは高くなり、その高いところに薄い雲が綿を引きちぎったみたいに浮いている。
 ずっと眺めているとゆっくり、ゆっくりと雲は流れていた。

 この雲みたいにゆっくりとは季節は進まず、急に寒くなったり、また上着なんていらない気温に戻ったりを繰り返していた。
 そのせいで香菜の朝の洋服選びが大変でこのところちょっとした騒ぎになっていた。
「お昼ごろは気温高いですて、天気予報の人言うてたやんなぁ。どうしょう?」
と、あっちこっちに服を出し、せっかく着たのに
「これとこれ着たら、へんやわ」
と鏡の前でまた脱ぐ。

「昨日のうちに決めときなさい。ほんで、ちょっとは片付けてから学校行ってよ。」
とママは毎回怒っているが、

「だってな、朝になったら気が変わるねんもん。天気予報も朝に変わる時あるやん。体育がある時は着替えやすい服がいいし。同じのんばっかり着るの嫌やし…。」
とこれまた、同じような言い訳を繰り返している。

 クロは、猫は気楽でいいと思った。
黒い毛皮で生まれてきたら一生、黒い毛皮だ。そういえばルナは真っ白のはずなのに、ちょっと薄汚れていてグレーになってしまっているとこっそりと笑った。その子どものプーは黒と白のハチワレで、首と胸元は白く背中は燕尾服みたいにしっぽまで黒くて、右の前足に丸いブチがある。
 そのプーの毛皮もよちよち歩きの頃からずっと一緒で変わらない。

 そんなプーのことを一緒に連れて歩くこともほとんどなくなった。

「トラちゃんの所に行くわね。」
と毛繕い中のプーに声をかけたのに「はーい」と返事をしただけだった。以前は「ボクもいく!」と慌てたのに、それが何となく寂しい。

 いつまでも甘えているのが心配だった時期は、香菜ちゃんのママが言った通りあっという間に過ぎ去った。

 トラは、いつもの明るい黄色の縞模様の毛皮で窓辺にいた。けれどいつもとは違って、クロに気付いて窓枠からトラが降りた時にシャランと鳴った。

「こんにちは。クロちゃん」
 出てきてくれたその首には、今まで見たことのない鈴付きの、こげ茶色の首輪が巻かれていて、ちょっと雰囲気が違って見えた。
「素敵な首輪ね。」
クロがトラの首もとを見ながら言うと、
「昨日、お母さんが付けてくれたの。まだちょっと慣れなくて、首のところが気になっちゃうの。それで、足で掻いたらシャンシャン鳴るのよ。でも、ずっと付けてたらそのうち慣れるって。だけどこの鈴だけ取ってもらえないか、今夜お願いしてみようと思ってるの。」

「でも、どうして急に首輪を付けることになったの?」

「飼い猫の印ですって。ほんとは飼い猫はなるべく外に出ないようにした方がいいらしいの。私、そんなに遠くには出かけないけど、たまに公園に遊びに行くこともあるし。それで、地域猫の保護のボランティア団体に連れていかれちゃうといけないからって…。そうだわ、クロちゃんも気をつけてね。私もクロちゃんも罠に引っかかったりしないけどね。」
とウインクをしてから

「でもプーちゃんが心配なのよ。公園にひとりで行くこともあるでしょ。できれば、クロちゃんも首輪を付けてもらえるといいんだけど…。」

「そう…。それじゃ、頼んでみようかしら。首輪なんてって思ったけど、トラちゃんを見てたら、おしゃれだし、私も付けてみたくなってきちゃった。」

「ほんと?クロちゃんは嫌がるかなって思ってたの。あとで、一緒に桜屋敷に行ってもいい?」

「うん、いいわよ。このごろちっともプーが私について来なくなったでしょ。久しぶりに顔を見てやって。もうすぐ私より大きくなりそうなの。やっぱりルナに似てるのよ。」

「その、ルナさんなんだけど…。クロちゃんは最近会った?」

「ううん。それが、涼しくなってからはちっとも!」

「あのね、ルナさんは、その地域猫ボランティアに保護されて…。」

「えっ?もしかしてどこかに連れていかれちゃったの?」
 クロはあまりの驚きで、その瞳を金色から暗い紺色に見開いた。

「あっ、大丈夫なのよ、びっくりさせちゃってごめんなさいね。片方の耳が桜の花びらみたいになっちゃったけど、元気に公園に戻ってきたのよ。心配なら先にルナさんに会いに行く方がいい?一緒に探しに行きましょ!」

「うん。ありがとう。そうしてもいい?ちょっと逢えると安心できるわ。」

「そうそう、それでね、桜耳になって、きれいな真っ白になってるのよ。きっとシャンプーもしてもらえたのよ。ついこの間のことだから、まだきっと白いはず!」

「えっそうなの?今朝ね、ルナって、ほんとは白猫なのにグレーに見えるって思ってたところなのよ。」
 クロはすごく驚いた後にほっと安心したのと今朝のことを思いだしたのとでクックッと笑った。

 2匹は白猫のルナと公園のベンチの後ろでゆっくりと会うことができた。ルナは少し怖い思いをしたようだったが、もうどこも痛くはなく元気だと言っていた。

 クロはルナの桜耳に軽くキスをした。トラはルナの大福餅みたいなしっぽに自分の尻尾をくるんと当てて、今度クロちゃんと一緒にうちに遊びに来てねと声をかけた。

 すっかり安心できたクロは、トラを連れて桜屋敷に向かった。トラは塀を乗り越えるのが苦手なので一緒にちょっと遠回りをして垣根をくぐって庭に入ると、ちょうど洗濯物を取り込もうと咲恵が出てきたところだった。

「あっ、クロお帰り。あれ!トラちゃん?トラちゃんも連れて来たん?」
そう言って咲恵は洗濯物のことはほっといて、ニコニコとしゃがみこんだ。
「いやぁ、この子可愛いなぁ。触らせてくれるのん?ふわふわやな…」
トラも慣れたもので怖がりもせず、すり寄ってゴロゴロとのどを鳴らしている。
「いい子やなぁ。ええ首輪付けてもらってるやん。クロも付ける?」

クロは待ってましたとばかりにすり寄った。

「そかそか。クロもプーもうちの子やもんね。首輪しとかなあかんねぇ」
とクロの頭をコチョコチョと撫でて、
「やっぱり赤いのが似合うかなぁ?それか金色ってあるんかな?目の色と合わせるのもいい感じやね。香菜と相談して買って来るわね」

 気持ちが上手く伝わったクロは、トラと顔を見合わせてにっこりとした。

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