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まつむし

遠い記憶にある夜。網戸の向こうから聞こえるのは夏草が秋風に揺れる音。あれはコオロギ、これはウマオイ、今のは、マツムシ。祖父に教えてもらった虫の声を聴き分けていく。両親はバレーボールの練習でいない。

いつまでも一人、夜の和室で虫の声を聴いていた。

秋の虫が鳴きはじめる頃。

〽あれ松虫が鳴いている
 ちんちろちんちろ
 ちんちろりん

驚いたことに欧米の人は虫の声を雑音ととらえる。このように虫の声に情緒を見出し、さらにそれを

チンチロリン

といった言葉に表現する、というのは日本独特の文化だそうだ。私たちは虫の声に季節と情緒を感じ、その音色を言葉で共有できる素晴らしい文化をもっている。

今から800 年前、後鳥羽上皇の寵愛を受けた女房に鈴虫、松虫、という名のものがいた。
一方、京都住蓮山安楽寺に当時、たいそう美声の二人の上人がいた。名を住蓮と安楽という。かの法然上人の弟子であった。
二人の念仏は節・拍子が変化に富み、哀歓悲喜の音曲を為し多くの聴衆を魅了した。この女房、鈴虫、松虫もまたその美しさに打たれ、上皇の御留守を狙い、決死の想いで出家をしてしまう。上皇の寵愛を受ける身、その声の中に世の無常を悟ることもあったかもしれない。
後鳥羽上皇はこれを知り激怒。二人の僧は女房をそそのかしたという罪で処刑、その師である法然上人は土佐へ、親鸞上人は越後へと配流される。これが有名な1207年の「承元の法難」(じょうげんのほうなん)である。延暦寺や興福寺といった当時、権威を持っていた旧仏教勢力と、法然を中心とした新興の念仏宗派の対立を背景とした事件であった。
松虫は当時19歳、鈴虫は 17歳。その後、二人は剃髪し、尾道の光明坊に移り、念仏三昧の余生を送ったという。

安楽寺では今でも仏の道に殉じた二人の僧を憐れみ、秋の虫が鳴いていることだろう。

すでに暦の上では秋である。朝タの涼しさが秋の味覚を生む季節となる。

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