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桃が大好きな義父だった。
70の老体で夜中のタクシーを走らせていた。
いつも「桃の天然水」、という清涼飲料水を横に置いて、お腹が空くと、コンビニに立ち寄り、唐揚げと一緒にそれを飲むのがささやかな夜の飯となっていた。

それを聞いてから、毎年、夏になると白桃を贈ることにした。

こちらが恐縮するほど喜んでいただき、娘である私の妻に「おねえちゃぁん、桃、美味しかったよお!おねえちゃんも食べにくるー?」と笑いながら最後は「こうちゃん(私)によろしゅう言うといてなあ、ほんまありがとう」で終わるのだった。
毎年、毎年、それは本当に、毎回、生まれて初めて桃というものを口にしたかのように、感動を伝えてくれた。

義父とはそういう人であった。

ある時、深刻な声で妻に、「あれ、お客さんに聞いたけど、えらい高い言うてたで、ほんま大丈夫なんやろか、もろうても」と電話があった。
どうやらその産地の県に住むお客さんをたまたま乗せたらしく、義理の息子自慢に白桃をもらう話をしたらしい。

2019年の夏ごろから体調を崩し、入退院を繰り返すようになった。妻がつきっきりで病院を行き来する日が半年ほど続いた。

ガンであった。

タクシー仲間がお見舞いに来てくれて知ったことだが、お義父さんは同僚が病気でお金が無くて困っている時でもだまって10万円を渡し返す素振りを見せると手を横にふるようなこともあったらしい。

事業所の中でもトップの成績であったが、折しもコロナが蔓延しはじめていた頃でもあり、タクシー会社も快く休職を受け入れてくれた。

そしてそのまま再びタクシーに乗ることはなかったのである。

お義父さんが亡くなってから二回目の夏が来ようとしていた。
私はやはりその夏も白桃を、贈る手配をしていた。

仏前に備えられた白桃をおろし、妻と二人でいただいて少し驚いた。
触れ込みに書いていたほど甘くはなかったのである。妻とふたり、顔を見合わせる。私も妻も、少しばかり顔を曇らせ、「そうやったんかぁ」とことばにならない言葉を交わした。

その次の夏からは私が選び抜いた桃を仏前まで持って行くことにした。

先日、「甘くない白桃」の話になった。えらいすまんことしたなあ。

ええんよ。お父さんはね。こうちゃんが贈ってくれた、というのに感動してたんよ。

お父さんはそういう人よ。

妻は節目がちにそう言って、そして私をみて、笑った。

今年の夏も私が選んだ桃を、妻が持って行くことになった。ただ、今年だけは、少し、持っていく回数を増やそうと思った。


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