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樹氷

 青森県の八甲田で遭難事件が起こったのは、明治35年1月。日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が雪中行軍の途中で遭難。210名中199名が死亡した。
 その、冬の八甲田を5人の仲間と1週間分の食糧を担ぎ、山スキーで縦走した。21歳の時である。

 3日目、折しも天候は悪化に向かいこのままだと完全縦走を諦め下山しなければいけない、決断の時だった。

 リーダーと悩みに悩んで、「行く」と決めた。

 猛吹雪の中、ルート上に打たれた竹竿を頼りに避難小屋を目指す。ひどい時は1メートル先が見えない。猛り狂う風と雪の恐怖の中、黙々と目の前の竹竿を一本一本、辿って歩く。
 この時、ふと、白装束の老婆らしき者とすれ違った記憶がある。
 やっとの思いで避難小屋に辿り着いて、そこから 3日間、一歩も外に出ることができなかった。4日目の昼、風がやんでいることに気付いた。
 小屋から外に出た時に見た光景をいまだに忘れることができない。

 快晴の空。お菓子の家のようになった雪だるまの避難小屋、そして見渡す限りの樹氷の平原。

 樹氷は別名「スノーモンスター」と言われ、0°C以下になった水の粒が、冷えたきった樹木にぶつかってくっつき、こおりついて成長したものだ。
 見えている部分は、常緑針葉街の「アオモリトドマツ」の先端部分。雪の下には3〜4メートルのトド松が埋まっている。不用意に樹氷の傍に近づくとスポっと足を踏み抜き下まで落ちることもあるので危険だ。
 「蔵王」「八甲田山」「森吉山」は『目本三大樹氷』
と呼ばれ、厳酷の冬を背景にその神秘的な姿を見せてくれる。

 先日20年ぶりに当時のリーダーにそのことを、尋ねてみる機会があった。「いや、そんな老婆は記憶にない」と言われた。老婆は雪が私に見せた幻惑だったのか、定かではない。

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