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野分

 立春(2月4日頃)から数えて 210 日目の日を「二百十日」(にひゃくとおか)という。9月1日がその日にあたる。台風が多い時期として農家にとって二百十日は忌日である。
 9月1日といえば稲が開花する時期。せっかくここまで背丈をのばした稲が台風の風で倒れてしまっては、ということでこの時期、風を鎮める「風祭り」が各地で行われる。
 最も有名なのが越中富山「おわら風の盆」だろう。毎年9月1日から3日にかけて行われる。越中おわら節の、哀切ある歌と三味線の響きがどこからともなく聞こえてくるとそれに導かれるように、静かに、しかし艶やかな女踊りが音もなく四辻の向こうに現れる。誰ともわからぬよう深く編み笠をかぶった面影は、どことなく昔の想い人、また亡くなった大切な人を映し出すようで、終わりゆく夏の名残惜しさと相まって実に寂しい、そして美しい。
 この寂しさ、あるいは儚さが美しさと重なる時、そこに底知れぬ上品さと神秘的な味わいが生まれる。
 サンバのように派手に踊り狂う「祭り」が世界の標準ならば、この奇異にも思える祭りが風を鎮め、いまは亡き者と共にある祭りであると聞けばなお驚くものも多かろう。
日本はまさに祈りの島である。

 「野分」(のわけ)とは、野の草を吹き分ける風。
二百十日前後に吹く暴風や台風、あるいはその余波の風までも含む。秋から初冬にかけて吹く。のわきのかぜ、とも言う。
『源氏物語』には野分の巻名の箇所がある。(第54帖)
野分が都を吹き荒れた。六条院の庭の草花も倒れ、そこへ訪れた夕霧は偶然、紫の上の姿を垣間見、その美貌に生涯忘れえぬ衝撃を受ける。乱れるタ霧の心と野分の激しさが重なる。

 子どもの頃は台風が一大イベントだった。一つ上の兄とガラス窓に額を押し付け、次々飛んでくる看板や袋、瓦のような奇怪なものを見つけては激しく喜んだものだ。今は台風のたびに、農作物の被害に心を痛め、その後の相場の高騰に頭を悩ませるだけのものとなった。

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