朝霧
季節の変わり目になると無理をしてでも帰省し、実家の近くにある神社に参拝する。一昨年、母が急な心臓の病になってから始めたことだがそれ以上に美しい季節の変化、故郷の自然の心地よさに私自身が励まされる気がしている。
まだ日も昇らぬ間から深く立ち込めた朝霧の中、落ち葉を踏み分け山道を登ると小さな祠がある。賽銭をそっと入れ、両親の健康を願う。しばらくすると山からやわらかい風が降りてきて私を包む。深く息を吸い込むと秋の匂いが肺に広がる。
「朝霧、それは私自身のやうにも。」
( 種田山頭火 「某中日記(十五)」 )
某中日記は種田山頭火が五十のときに、山口県小郡に結庵した「其中庵(ごちゅうあん)」での記録だ。
山頭火は自由律俳句の代表的俳人。山口の防府に大地主の長男として生まれるが九歳のとき、母が自殺。四十三歳で出家得度する。乞食、放浪の生活を記録した膨大な日記と、一万二千句以上の俳句を遺した。
飯も食えない貧しい暮らし。腹を空かせながら歩き回り、茶の代わりに、白湯に塩を一つまみいれて空腹を癒す。そしてまた「句を拾うて」歩く。空腹に耐えかねて友人に恥をしのんで無心する。そのお金を酒と米に変えてそのうまさに涙をこぼす。
某中日記はそんな日々が朗々と描かれている。笑うほど貧しいが不思議な明るさに彩られている。それは山頭火のどこまでも自由な心によるものだろう。
「朝霧」は、自由に空に浮かび、そして消えていく山頭火自身であっただろう。
母の健康を祈り、その祠を後にする。振り向くと、たなびくような朝霧の一筋が谷に横たわる。
その神社を、龍神社という。
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