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匂い

防護服に身を包んだ看護師が案内してくれたのは、窓から大きな橋とその下を流れる海峡が見える個室だった。
それから約一ヶ月。陽性と陰性を繰り返すだけの終わりの見えないpcr検査の日々。
結果をまつ時間だけが、橋の見える風景に毎日、重なった。
ジリジリとした焦燥感と共に。

薬を処方してもらっても、少しも眠れなかった。

朝の決まった時間に近くの犬が吠えた。

朝食のパンを無理やり口に押し込んだ。

週末になると近くのホームセンターが入りきらないくらいの車でいっぱいになった。

義姉が水で何度もかける書道の紙と、小筆を届けてくれた。同じ字を何度も書いていた。何度書いても、字は震えていた。

隣室の罹患者は、これで三人目だった。1人目は記憶にない。2人目の高齢らしき男性は、朦朧とした意識のなかで夜通し、帰りたい、と繰り返していた。何度も緊急のナースコールが鳴っていた。3人目は、この病院の看護師だった(とわかったのは看護師と彼女の会話からだが)。

2020年の春は、ひどく寒い春だったと記憶している。やがて、汗で湿り気を帯びたシーツだけが初夏が来ようとしていることを教えてくれた。

わずかに開く窓から初夏の潮の匂いを辿ろうとしたが無理だった。私の鼻の奥に匂うのは、ひどく薬品じみた病室の匂いだけだった。

やっと二回連続の陽性反応が出た時には、もうゴールデンウィークを過ぎていた。

仕事場には私の席はなく、私は人生で二度目の休職となった。診断書に書かれていたのは「うつ状態」の文字であった。

あれから3年。この病気を巡る状況もだいぶ変わった。先日、私は妻の発症から3日目に罹患した。周囲は私の病状よりもうつ状態を引き起こさないかどうかばかり心配していたようだ(後からそれを聞かされた)。

眠った。1日の大半を眠り、起きて携帯で昔の映画を観ては、また眠った。周囲の心配とは逆に、熱のしんどさを除けば、溜まった疲れを癒すように眠り続けていた。気持ちいいくらいに。

四日目に、熱も下がってきて、少し元気になった時に、あの匂いがした。
最初に入院した時に嗅いだ、薬品のような病室の匂い。それが、今、鼻の奥からしている。

そうか、これはつまった鼻の奥からしていた匂いだったんだ

匂いは、私の部屋を一瞬であの橋と海峡の見える病室に引き戻した。その時、抱えたいた感情を、しばらく天井をみながら、噛み締めていた。

あの時、じぶんが必死に戦っていたのはコロナではなく、鬱状態の自分だったんだということを、思い出した。


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