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マスコミ報道で思うこと

安倍元首相の銃撃事件。ありえない出来事です。
さらにマスコミに身を置くものとして、また元報道マンそして伝える立場の者としてありえないと感じることがあります。

  • 過熱報道

今や現場にカメラマンが居合わせなくても視聴者から寄せられる映像で報道が成り立つ世の中になりました。便利な反面、私はマスコミの正しい判断がより求められると思います。

銃撃の瞬間がたまたま手に入ったとして、報道する必要があるのでしょうか。またその瞬間から銃弾が何発あったと映像で見せる必要があるのでしょうか。その感覚がありえません。
長崎のマスコミで働く私は2007年に起こったあの事件を思い出さずにはいられません。

  • 2007年4月に起きた現職市長射殺事件

この時私はたまたま現場に居合わせました。市長選真っただ中に起きた事件。事件は駅前の現職市長の選挙事務所前で発生。時刻は午後8時前。私は向かいのバス停でたまたま帰りのバスを待っていました。すると「パンパン」とタイヤがパンクしたような音がしました。
目の前の事務所が騒然となっている!なんだ??ひとまず現場へ急行。すると市長が横たわり、「市長が撃たれた」とのこと。急いで会社へ連絡。たまたま居合わせたカメラマンと一緒に携帯電話で犯人が取り押さえられる様子を動画で撮りました。

それから一連の取材にあたったのですが、ご遺体がご自宅に帰ってくる様子、葬儀、その後の選挙特番の事務所中継。何とも言えない気持ちでした。
その時に感じたのが現場とデスクの温度感の違い。その場を撮ることも何とも言えない気持ちなのに遺族にマイクを向けることは私はできなかった。でも全局囲むのでひとまずマイクを向ける。「今のお気持ちは?」なんてありえない。気持ちって何??と思うわけです。それ必要ですか?見ただけでわかりますよね、もう本当にいたたまれない・・・やるせないわけです。
これって視聴者は求めているのかな?現場はそう思いました。でもデスクは事件の問題提起になるから必要だと。キー局はその映像を求めてくる、他局にあってうちにその映像がないのはありえないわけです。

長崎はその年に佐世保でもスポーツクラブで銃乱射事件が発生し、私はすぐに行ってくれと言われて 現場へ急行。翌朝の情報番組でスタジオから呼ばれるままに現場の様子を伝える仕事をしていました。そして遺族の取材、これもまたモヤモヤ感満載。

デスクの気持ちもわかるわけです。キー局と現場の板挟み。
でも現場で感じたこの感覚は忘れてはいけないなと思いました。ずっと後輩たちにも今でも普通の感覚を忘れないでねと話しています。
きっと答えは出ないけど疑問を持ち続けてほしいと。
それがきっと報道する時に見ている人に伝わるからと。

でも、今回の銃撃の様子を垂れ流すことに意味があるのでしょうか。
あの騒然として様子で、事の重大さと怒りとご遺族のつらさは十分伝わるはずなのに。奥様が駆けつける様子もあんなに大勢のカメラマンが囲むなんてありえない。でもそうなるんですよね・・・

きっと答えがでないことだけど、でも銃撃の様子を垂れ流すのはやめてほしい。誰も喜ぶ人はいない、ご遺族や近しい人たちの気持ちを考えてほしい。その配慮は絶対必要でしょと思います。

マスコミに身を置くのに何もできないもどかしさ。。。
問題提起をしてみようと思います。
その人の立場に立った報道を切に願います。


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