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教育について

子供たちに教え育ててきて思うことは、教育にゴールはないということ。今も私自身の生き方によって、子供たちを教育してる最中である。

いかに生きるか。

私にとっては夫、子供たちにとっては父親を、子供たちが学生のうちに亡くして子供たちはさぞ、心細かったことと思う。

母親である私自身の精神の心配もしなければならなかったから。

子供たちの心中を思う時に、胸が痛くなる。

言いたいこと、甘えたいことも胸に秘めて、大人にならなければならなかったことを思うと、情けなくて涙が出てくる。

だから、人様に通じる教育論なんて私にはない。ただただ、子供たちに顔向けできるように、私自身の生き方を正して、でも、正直に、どう生きたかをしめしていこうと、思っている。


子供たちの子供時代は、私にとっても黄金期であった。毎日が楽しくてうれしくて今から思うと夢の世界のようだった。

忙しかったからこそ、余計なことを考えずに済んだ。

私自身の価値など考えずに済んだ。

子供たちが子供時代の時に夫を亡くして、子供たちは片親になった。

その時期の私は情けないことに、体は正常な世界で動いてたが、頭の中は異常な世界の住人だった。
今も時折、その世界の住人になってしまう。その荒唐無稽な妄想の中身は微妙に変化しながらも、大体固定した妄想で、もはやその世界を私の中から完全になくしたら、私の何十年かの記憶も失くしてしまうくらい、私にとって切っても切り離せないものである。

そういうと、子供たちの現在の職業も、私の妄想であると勘違いしてしまうかもしれないが、妄想の中ではもっと立派なのでw書くにも恥ずかしい。

人はきっと、考えたように、想像したように現実がやってくるものなのかもしれない。

理想と現状の差を嘆くのではなくて、すでに そうあるもの として現実を生きる。

もし、私の子供たちが社会に適応していった秘訣があるとするならば、その生き方にヒントがあるかもしれない。

私は言葉による子育てはしてこなかった。何せ私自身が子供時代 ありがとう も ごめんなさい も言えなかったのだから、子供たちにも強要なんてできない。こう言いなさい、こうしなさい、そんな言葉がけよりも、黙って手を差し伸べて、見守った。子育てに魔法の言葉なんて要らない。

子どもは言うようには育たない、あるように育つものだと思う。

だからこそ、人生の中盤期に入った子供たちに、私の老い方をこれからは示していかないといけない。

子供たちが常に背中をみている、その意識を持って生きていくことは時にしんどい。でも、楽しくもある。常に未開の地を冒険しているのだから。


生きるって楽しいですね。あなたも生きるのが楽しみでありますように。