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はじける!さくら猫 つしまくん


ある町のある公園に大きな猫がいる。
体重は10キロを超えているだろう。キジ猫の男の子である。
彼はいつも、椿の木の下にいる。

あまり人通りの多い場所ではないので、彼はそこでじっとして、日向ぼっこをするのが常である。あまり動きたくない。なぜかと問われるとわからない。
多分DNAとやらの問題に違いない、と彼は思っているだろうか。
いつも朝と夕方に、公園でおとーさんと呼ばれているおじさんがご飯を持ってくる。365日、おとーさんはやってくる。探さなくてもご飯にありつける。だったら、ここでじっと待つのが得策である。
果報は寝て待てと、彼は思っているか。
ある日、見たこともないおばさんが、彼を覗き込んできた。
何やつ?
取り敢えず彼はシャーと言った。
おばさんはケタケタ笑った。
おっきいなあ。どこかで見た気がする。
おばさんはそう言って、一瞬首をかしげた。
おばさんは「つしまくん」と言ってまた笑った。
ムッとする。彼はそう思って、おばさんを睨みつけた。
おいで、つしまくん、おばさんは話しかけてくる。
懲りないやつだ。シャーと言ってるだろ。
もう一度彼はシャーと言って、ぎとりとおばさんを睨みつけた。
ふいにおばさんは、彼の鼻先に指を伸ばしてきた。
クンクン。
あ、しまった。つい匂いを嗅いでしまった。
ちっ!
でも何かなつかしい匂いがする。
何だろう。
ひどく曖昧で、それでいて確固たるもののようなもの、それは薄ぼんやりとした記憶の水底に沈んでいる。
ああ、そうだ。自分と並んでお母さんのおっぱいを吸っている、自分の妹の匂い。いや、おっぱいの匂い?
彼は、そこで我に帰った。
淡い記憶の澱をさらうのに失敗したからではなく、そのおばさんが自分を撫で始めたからだ。
何をする。シャーと言ったはずだ。
おばさんは、彼を撫でながら、可愛いねえと言った。
彼は必死に抵抗しようとした。おばさんにではなく、その気持ち良さにである。
簡単に、知らないニンゲンなどを信用してはいけないのだ。
おばさんは、にっこり笑って立ち上がった。
長い影が伸びて来て、彼は反射的にその場から逃げた。椿の木の奥には、フェンスが張ってあって、送電用の鉄塔を囲ってある。フェンスの隙間から中に潜り込むと、そこにニンゲンは入って来られない。
彼は振り向いて、おばさんの方を見た。
おばさんは、手をヒラヒラさせて、立ち去っていった。 

度々、おばさんは彼の元を訪れるようになった。
彼はまずシャーなどしてみるのだが、おばさんは手練手管を弄し、彼を巧みに操るのである。
俺としたことが。
呟いてはみるものの、猫じゃらし、やらいう面白いものに飛びついてしまうのだ。彼はどうしてもそれを自分の物にしたくて、咥えて離さず、おばさんから奪い取った。
やっほー。彼は狂喜乱舞である。手でちょいちょいしたり、咥えてガシガシしたり、キックをかましたり、夢中になり過ぎて、フェンスにぶつかったりした。


そばでおばさんがゲラゲラ笑っているので、冷静を装おうとするが、こんな遊びは経験がなく、はじけてしまう。
おとーさんは、いつもご飯を持って来て、そそくさと慌ただしく帰っていく。彼と遊んでくれたことはない。
可愛いねー、つしまくん。
おばさんは、ブラッシングなる術を施してくれる。
至福である。つい頭が動く。肩のあたりをぺろぺろしたいのだが、届かない。首が回らない。勿論太り過ぎていてだ。
おばさんはまた笑いながら、「どすこいにゃんこ」とか言っている。よく意味はわからないが、褒められてはいなさそう、と彼は思う。が、おばさんはそんな悪い人でもなさそう、とも思う。

ある日、彼とおばさんが遊んでいる時、おとーさんがご飯を持ってきた。
彼がもりもりご飯を食べている間に、おとーさんとおばさんは深刻そうな顔で話し込んでいた。
おとーさんが帰った後、おばさんは珍しく笑っていなかった。
おばさんは言った。
つしまくんも大変な目にあったんだね。可哀想に。
んー?
彼は、食後の睡魔と戦っていた。
眠い。ハウスがすぐ横にあるけど、入りたくない。お外で眠るには、寒い季節だ。道向かいのマンションの一階に住む人が、ベランダにダンボールの箱の寝床を作ってくれている。そこに行こうか。
ハウスは恐いと、彼は思う。
以前ハウスの中で眠り込んでいた時、体がふわりとハウスごと持ち上がって、次の瞬間、激しく地面に叩きつけられた。
彼はひどく驚いた。しばらく脚が立たなかった。
おとーさんがハウスを片付けながら、顔を真っ赤にして怒っていた。
いったい誰がこんな酷いことをするんだ!
幸い怪我はなかったが、その時の強い恐怖は忘れられない。

おとーさんはまさしく、その時の話しをおばさんにしたのだった。
おいで、おばさんはそばにある石に座って、彼を呼んだ。
膝の上には、ふかふかの毛布がある。
ちょっとだけ。
彼はおばさんの膝によじ登った。
うわー重いねー。
おばさんは騒いでいる。
しかも、おしりがきったなー。
また、ゲラゲラ笑っている。
本当に失礼なやつだな。
うるせいぞ。

おばさんは彼を撫でながら言った。
つしまくんの兄弟がすぐそばにいるよ。さっき遊んできたから、匂いがするかな。

ああ、そうだったんだ。
その匂いだったんだ。
おばさんが、首のあたりをこしょこしょする。
気持ち、いいなぁぁ。
彼はうとうとと、眠りに落ちていった。

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