見出し画像

綾取り(SS)


「綾取り」

私は恩師の縁故で、とある研究所に赴任した。

「掃除だけはしている。食堂が開くのは平日の20時まで。週末は休みで自炊するか外食になる」

実に面倒だと顔に現れている無精ひげの男が数個あるスーツケースを宿舎の部屋に運び込んでくれた。

「勤務は明日9時からだそうだ。初日は所長室に行くように指示があった。今日は荷解きと建物配置を覚えたまえ」
備え付けのデスクの上にあるファイルを指差し空気の入れ替えの為彼は窓を開けるけれどむわりと暑いだけだった。蝉がひっきりなしに鳴いている。
「大概はそれに案内がある」
「ありがとうございました」
「夕食は宿舎の歓迎会を兼ねている。18時にきっちり来てくれ。20時に厨房が閉まる」
「分かりました」

「歓迎会ですよね?」

18時前に食堂に行けば、私と無愛想な彼しかいない。

「宿舎を使用しているのは車の無い君と、実験し続けている私だけだから。皆車で通勤している。鄙びた海街より郊外店が多い住宅街の方が便利だからな」
彼と私は向かい合わせに座り、お互い缶ビールを開け形だけ乾杯した。
「刺身盛り合わせがある」
「海街だからな、今日水揚げされたものしかない」
「煮魚美味しい」
「小魚の煮付けはうまいだろう?茄子のタタキは私が作った」
「ご飯が美味しい」
炊きたてのごはんにこんなに自分が飢えていると思わなかった。帰り支度を始めた厨房のおばちゃんが笑っていた。
「君は本当に美味しそうに食べるな」
「いけませんか?」
彼は肘を付き指を重ね合わせて此方を見た。
「どうしました?」
「ふふ、何でもない」
「あなた、ビールは飲む?」
「いただこう」
缶ビールを数本空けた頃には私も彼の無愛想さが気にならなくなり気安く話すことができた。
「あなたは車を持っているのね」
「鄙びた海街では大概ひとり一台車を持っているさ。生活の足だからな。君のように自転車でも悪くないがね」
「私の自転車はぼろに見えるけれどよく走るわよ、カスタマイズしているの」
私は自分でペイントした自転車を自慢した。
「何よりだ。もしも私が買い出しに行くなら一緒に行くかい?」
「助かるわ」
「ここの所長は無愛想で威圧感が凄い。前情報で教えておくよ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
彼が20時には食堂を閉めなければならないと話すので、ぎりぎり間に合う時間にふたりの連携プレーで速やかに撤収した。
「もう少し飲まないか?」
「いいわね」
宿舎にふたりしか住んでないは本当なのだろう。ならこのお誘いは女として求められているのか。失恋したばかりだから、こんな世俗と離れた所へ来た。だからと言って尻軽女と思われたくないし、なるつもりもない。
彼の部屋には最低限のものしか無かった。出されたのは地の日本酒で、座卓の前で柿ピーをかじりながら杯を勧められた。しばらくして彼がくちにしたのが
「赤木君やらないか?」
ずいぶん直球ストレートなお誘いだった。
「え?」
「あやとり出来るか?」
「はあ」
あやとり?三十路の女としたいのがあやとり?
「期待したかい?流石に不味いだろう性欲処理に同僚を指定する程困っていないさ」
「あのねセクハラよ」
「一度位した事があるだろう?」
「分かったわよ」
少しでも性的な事を勘ぐった自分が恥ずかしく糸に集中しあやとりをした。糸を取り合うとき、これは違うと感じた。わざと彼の指がずいぶん艷やかに触れてくる。あやとりをしながら私を探っているようだった。
私が糸を取りきれなくて、あやとりはあっけなく終わった。
「送っていこう」
そう言って最初のように無愛想に話し彼は立ち上がり、私も玄関に向かった。
選別は終了したのだろう。
私は媚びるなんて出来ないししない。

「明日はまず所長室に行くんだ」
「分かったわ」
お酒だけではない、熱が夜風に冷えていった。

指示通りまず所長室へ向かった。宿舎から研究棟への道中に昨日の彼を探すけれど、見当たらなかった。同僚ならそのうち会えるだろうと行き交う人を見ながら背筋を伸ばす。

「この度赴任した赤木律子です」
「ここの所長をしている猪狩だ、ようこそ赤木君」
「あなたは所長なの?」
目の前に居るのはよれた白衣を着た昨日の彼ではなく、無精ひげもなくきちんとプレスされた制服を身に付けた彼がそこにいた。
「あなたの名前は?と君は聞かなかったからな、私は名乗ら無かったよ。よろしく赤木博士」
「よろしくお願いします。所長」
「不本意そうだな」
「いいえ」
「ずいぶん久しぶりだったよ、他人と食事しながら話したのは」
「私はわりに話しますよ。静かに食事したいなら時間をずらします」
「今日の夕食はアジフライ定食だ。おすすめするよ。うまいからな」
「私そんなに美味しそうに食べてました?」
「ああ」
「楽しみにしておきます」
「君との、あやとりの具合は良かったよ」
彼は眼鏡の弦を指で押し上げながら口角を上げた。
「君はどうだったかい?媚びるなんて思ってないよ。またやりたいものだ」
「私は研究の為に来ました」
「私も研究の為にここにいる」
「ご理解頂けて良かったです」
「夕食は20時までだ君は何時にくる?ふたりきりならスタッフを早く帰らせたい」
「なら18時で」
「私は……君の指の滑らかさを忘れてないよ。悪く思わないでくれ、君だから誘った」
「あの所長」
「それ以上話さないでくれ四十すぎの男でも、どうかしていたと思っている」
彼は私を見ていた。
「私も忘れてないわ」
「そうか」
「週末買い出しに行かれますか?」
「ああ」
「一緒に行っても良いですか?」
「良いとも」













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?