『大天使ミカエル』読書会のまとめ(1/3)

 約10カ月間、渡邊タツさん主催の『大天使ミカエル』(『ミカエルの使命』)の読書会に参加させていただいた。
 ドイツ語の翻訳の妙をはじめ、哲学的にも、霊学的にも刺激を受け、楽しく読み深めることができた。全六講を次の三つの視点で整理してみた。
 
1 サブタイトル「人間存在に関する本来の秘密を啓示する者」について
2 ルツィフェル・アーリマンとの闘い、キリスト衝動によって三体性(三位一体)としてバランスをとる
3 人類進化におけるゴルゴタの秘儀の意義
 
1 サブタイトル「人間存在に関する本来の秘密を啓示する者」について
 「人間存在に関する本来の秘密」とは、人間を次のようにイメージすることである。
「人間とは、上からくるルツィフェルと、下からくるアーリマンにつかまれ、その間に立って、キリスト衝動によって自らを貫き、自らを方向づける存在である。」(ご存じのように、これは、ゲーテアヌムにある木彫像「人類の代表者(キリスト)」のイメージである。)
 
 ルツィフェルは上から人間存在を超えさせようとしてくる。アーリマンは下から人間を地上生に引き込もうとしてくる。この二つの力につかまれながら、それでもなお(人類進化の方向)へ自らを方向づけ一歩踏み出す、これが本来の人間の姿である。
 大天使ミカエルは、この「秘密」を「啓示(開示)する」者である。そのために「遣わされた」者である。ミカエルは、秘密を開示することによって、キリスト衝動を伝え、ルツィフェルやアーリマンと闘い、三体性(三位一体)をなすよう私たちに促す。
 ミカエルはキリストの「従僕」、「顔」として、キリスト衝動を人間に伝える。それが顕著になったのは18世紀以降(ミカエルの時代)のことである。キリスト衝動は、個々の人間が強制されることなく、自由にそれを受け入れるときに意味をもつ。しかし、そのために、人間はまず「ミカエル(に依り添う)思考」を受け入れる必要がある。
 「ミカエル(に依り添う)思考」とは、「世界(自然)を物質と霊の合一として理解する思考」である。「存在(本性)において、私たち人間が超感覚的存在であると洞察する思考」である。それはある種の「強さ」を意味する。そして、人間が自らをそのような存在として認識することがキリスト衝動を受け入れることにつながる。
 私たちが最もしてはならないことは、ルツィフェルとアーリマンを一まとめに「悪」とし、それに対抗する「正義(善)」をたてることである。そうすることによって、私たちは善悪二元論に陥ってしまい、「人間としての本来の姿」を見失ってしまう。(近代の文学作品にもこの誤りは多くみられる。『ファウスト』もその一例である。)
 そうではなく、ルツィフェルとアーリマンという二つ悪に対して、キリスト衝動によって自らを貫き、「ルツィフェル・キリスト・アーリマン」という三体性(三位一体)をなすことによってバランスをとるのである。人間はキリスト衝動に貫かれ、ルツィフェルとアーリマンの間に立って懸命にバランスをとる存在なのである。
 では、ミカエルの「啓示(開示)」を受けて、私たちはルツィフェルやアーリマンどのように闘い、どのようにバランスをとっていくべきか。次の【『大天使ミカエル』読書会のまとめ(2/3)】では、それを「本来の人間」の像の成立について人類進化のプロセスを踏まえながら見ていく。

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