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9月18日(月)帰省して思ったこと

今日の出来事

16日から今日まで帰省してたので、noteお休みしてました。

この3連休はパパの実家に行った。昨年から私の実家に行くことが多く、久々に2泊泊まった。
猫も一緒に行ったのだが、車に乗せるとキャリーバッグから出せ出せ~!とばかりに鳴くが、片道2時間の長旅にもついて来てくれる、というかついて来ざるをえないが正しいのか?とにかく頼もしいにゃんこである。

以前noteに書いた、大分県直入町まで義両親連れてドライブに行った。普段遠出をしないようで、お出かけできて喜んでいた。
我が家では最近湧き水がおいしいと気付き、水汲みがブームとなっているが、パパの実家ではそんな習慣がなく最初びっくりしていた。
実際冷たくて気持ちよかったようで、湧き水の良さを知り喜んでいた。水道水とは違う感覚に触れる体験ができたのではと思う。

猫の置物を作る工房に行った。側に大きな川が流れているのを見て、結婚前行った当時の状況を思い出し、懐かしさがよみがえった。
息子の猫とうちのリアルにゃんずの置物を注文した。出来上がりが楽しみだ♪

今日は私の父の誕生日だったので、わずかの時間だがお祝いに行った。休日に誕生日で孫と子どもが集まることもなかなかないので父も喜んでいた。

今日の夕方我が家に帰った。充実した3連休だったが、実家は昔住んでたとは言え、今では自分の家が心地よく感じる。


今日思ったこと

最近マイブームとなっている「部族的信念」。実家とは私やパパが生まれて大人になるまで育ってきた場所であり、それぞれの家庭でのこうあらねばならないが根強いなと感じた。

パパの実家では帰るたびに孫である息子が学校行かないことが心配だと義母は言う。学校行くことが大人になって自立できると思い込んでいる。
いろいろと私たち家族にお世話をしたがったり、口を出すことが多い義母だが、自分がお世話することでコントロールしたい、安心したいがあるのかなとふと思った。

パパは話を流したりと一見経済的、精神的自立しているように見えるが、ただ一時しのぎにしかならず、自分は動かなくても身の回りのことは母親がやってくれる、学校行って会社務めるのが安心安全だという部族的信念を持っているのかもと今回の帰省で思った。

私自身も私の姉もだが、親の面倒を見るのは子として当たり前という信念があり、実家とはまさしく部族的信念のオンパレードだなと思った。

そりゃ、パパも私も自分らしく生きれてなかったよなと残念に思う。

息子にとって我が家は自分らしくいれるのか疑問が湧いた。と同時に「自他分離」という言葉も出てきた。

私と息子は親子ではあるが、身体と心は別物である。子どもなんだからといろいろ手をかけたがるが、一人の人として見ることが自立につながるのではと思った。

以前は息子が心配だと自分の所有物のように扱っていたが、今では少しずつ減ってきたからか、自分のことも楽しめるようになってきている。

こうやって自分が変わることで、家族も変わっていくんだろうなと改めて思った。


今日の感情%テージ


充実する(20%) 不快だ(30%) 憐れだ(20%) 呆れる(30%)


行動的には充実した連休だった。昔ながらの家庭になればなるほど部族的信念にとらわれやすく、子を親の所有物扱いしやすいのかなと不快に感じた。

それは親子共々本来の自分から遠ざかることになり、呆れるし憐れに思う。

親と子との関係とはいえ、どちらも一人の人なんだなと改めて気づく機会となった。

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