心捨て

断捨離と言えば簡単なのだが、何となくその言葉を使いたくない、では何と言おう…。この作業をやっている間、頭の中ではずっと「私は食べるために心を捨てている」と思い続けているのだ。これから迎える老後、物を捨てたい主に食べさせてもらうために、泣く泣く大事な物を捨てている、もうその想いで充たされてしまっている。

辛い。断捨離ではなく心捨てだ。

しかしだ、どんなに悲劇の主人公になろうとも、捨てるか売るかせねばならない。それが、生きる道。あぁやっぱり辛い。

どうしても捨てたくない物の範囲が段々狭まって、そろそろ無理となっている。最終は地元に帰るときに置けるキャパで決まるのだが、難しい。

で…某劇団の月刊誌の山、悲しい出来事の後もスキャンしていたのだが、記事を見ていると「楽しい」「なんで?」「つらい」「こんなに幸せそうなのに」などと変に感情が揺さぶられて、以前よりも重労働だった。しかも、それに加えて心を捨てているのだ。もう、疲労が半端ない。

キャパオーバーで吹っ切れてしまい、残りはフリマサイトに出品するという暴挙に出た。少しずつ売れている。出来るなら捨てたくないので、どこかに引き取られて欲しい。

贔屓のスクラップも止めてしまった。取り置いたページは納得した頃、捨てようと思う。


残しているのは展覧会の図録、某劇団関係では観に行った時のパンプレットと組本、レビュー本等区切りになるもの、厳選した漫画。ここまで来たが、これを残すことを理解してもらえるかどうか。捨てることに取り憑かれている人は容赦がないからね。


心捨ての作業だけでなく、歳を取るということは、色んな事を片付けていくことなのだと思い知る日々だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?