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父が私をわからなくなった日(2/5)

このテキストは「父が私をわからなくなった日(1/5)」の続きです。

これを書こうと思ったきっかけは、父への気持ちに大きな変化があったからです。

父は私が幼い頃からしつけに厳しく、またよく怒るので怖いというイメージが強く、近寄りがたい存在でした。それでも自分の父親だからと、どこかで父を怒らせないように良い娘を演じようとしていたところがありました。
しかし、父の病気をきっかけに実家で二人で過ごすことになり、その短い期間の中で父と真正面から向き合い、等身大の父を見ていくうちに、「本当の父はこういう人だったんだ」と今までとは真反対の見方をするようになりました。そして、「遅いかもしれないけど、今、父のためにできることをしたい」という気持ちが込み上げてきました。
父の病気をきっかけに父に対する気持ちが変化していった、自分のその時の様子を書き留めておきたいと思い、書くことにしました。

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本格的な父の自宅看護が始まりました。
私のことはスタッフと思ったままの父。
日常生活のことをほとんどわからなくなってしまった父。
どうすれば父の記憶が少しでも蘇ってくるかを考えたとき、
普段通りの生活をする中で父が今まで自分でやっていただろうことを私が補助しながらしてもらうこと、そしてやはり『話をすることだ』という結論に行き付きました。

朝起きて、雨戸を開けて部屋の空気を入れ替え、お布団を畳み、着替えをして、顔を洗って、朝食の準備。
食パンをトースターで焼いたり、牛乳をレンチンで温めたり。
朝食後はお皿洗いをして、少し家の近くを散歩。

これだけの中でも、お布団はどう畳むのか、どの服を着るのか、着替えた服はどうするのか、食パンはどうやって食べるのか、トースターや電子レンジはどうやって使うのか、お皿を洗うにはどうするのか。

さまざまなことをその都度教えながら、父に動いてもらいました。
父がまた一人で生活できるほどに回復するのを願って。
その時に決してしてはいけないこととして心掛けたのが
「決して怒らないこと」
父はストレスで認知症になっています。
私が怒れば、父の認知症を加速させることになり、父の回復を妨げることになります。

今まで私自身、自分のサイクルで生活していたので、今回の父の看護は全くの真逆。父のストレスを取り除き、以前のような父に近づけるためにだけを考えて時間を過ごすため一つ一つの動作はゆっくりだけれども、家の中でやることはそう多くありません。しかし、何かをやり終えるとすぐに「次は何をしますか?」と問いかけてくるので、私も必死で用事を作るのですが、それでもやっぱりないものはない。
散歩に出かけても、町内の風景を忘れてしまっている父にとって、全然楽しくなく、「いつまで歩くの?」という状態。無駄にだらだら歩いて父が嫌がってしまっては元も子もないのですが、10日後には2駅離れた泌尿器科を受診しないといけないので、そこまで歩いてもらうだけの体力は付けておかなければいけません。なので、父の様子を見ながら散歩を続けました。

やっと待望の10日目。
毎日何十回も「いつ導尿バッグが取れるのか?」と聞いてきた父。
その度に「あと〇日で取れるよ。もうちょっと、もうちょっと」と言っていた私。

「今日でやっと導尿バッグが取れる!」
「夜中に管を外さないかを心配せずに済む!」
嬉しさだけが込み上げてきて、足取り軽く2駅向こうの泌尿器科を受診しました。

皮膚科の待合室で待っていると、父が処置室に呼ばれました。
処置が終って出てくると、もう導尿バッグはありません。
嬉しくて、嬉しくて!

看護師さんが「今、膀胱に水分を入れました。排尿の具合を確認したいのでトイレに行ってきてください」と。
父と一緒にトイレの中に入り、いざ!
・・・
・・・
・・・
父:「出ないなぁ~」
出ないのです。
私:「出したい感じ?」
父:「うん」

看護師さんに伝えると、
「やっぱり、そうですか」と。

「やっぱり、そう」ってどういうこと?

その後、先生の診察を受けました。
結果は、
「自己導尿」

医師から「自己導尿」を聞いた途端、導尿バッグの時とは比べ物にならないショックで、奈落の底に落とされた感じでした。

「自己導尿って何?」

先生の話によると、
「前立腺肥大の症状は治まっていないので、今後は自己導尿を続けることになります。自己導尿をしばらく続け、お薬も飲んでいると、自力排尿ができる方もいますが、そうであっても自己導尿を止めると元に戻ってしまいますので、続けていってもらうことになります。
処置室で看護師に自己導尿のしかたを教えてもらってください」

自己導尿について詳しくは話しませんが、要は管を膀胱まで入れて尿を排出させることです。管を入れるときに尿管等を傷つけると出血することもありますので、注意してやれなければいけません。

父は何が何だかわかっていません。
自力で尿が出ないことについては「おかしいなぁ、おかしいなぁ」と言うばかりです。
自己導尿ができないと父を再び病院に入院させてしまうことになります。
私の不安が一気に頂点に達し、逃げ出したい気持ちになりました。
これほど不安になったことはありません。
これほど辛かったことはありません。

診察が終わり、手には持ちきれないほどの導尿グッズ。
父は何のことかわかっていないので、「えらい荷物やなぁ」と言うばかり。
自宅に着くと父は疲れたのか横になりました。

一方、私は必至で「自己導尿」について調べましたが、なかなか思うように調べられません。
そんな時、いとこが自己導尿をわかりやすく説明してくれたYouTubeのサイトを探してくれ、また自己導尿についていろいろと調べてくれました。
自分事のように必死にいろいろと調べて助けてくれたことは、本当に、本当にありがたく、感謝感謝で涙が止まりませんでした。真っ暗闇から光が一筋差し込んできた思いでした。

また、この場を借りて
そのサイトをアップしてくださった方に本当に感謝です。
ありがとうございました。

いざ、自己導尿を!
今回の自己導尿は今後父が付き合っていかなければならないことであること、そして尿管を傷つけることがあってはならないこと、さらに週末は姉が代わってくれるので、姉が困らないようにすること、この3つのことを考えると、自己導尿は父にやってもらうのが一番いい。もちろん、私はそばにいて補助することにしました。
認知症が入ってしまった父にとって、新しいことを覚えるのは至難の業です。手順を紙に書いたとしても、それを読んで理解することも難しい。以上のことから考えても、これは気長に父のそばで補助しながら進めていくしかありません。
一方、姉が困らないようにするにはその手順を紙に書いておくほうが良いので、スケッチブックに大きな文字でわかりやすく手順を書きました。

初めての自己導尿!
YouTubeで教えていただいた手順をもう一度思い出し、看護師さんに教えていただいたことも思い出し、それらをミックスして頭の中でイメージを作り上げました。
そして、父には
・自力排尿ができなくなっていること、
・これからは道具を使って尿を排出すること、
・毎食後のお薬を飲みながら自己導尿を続けると、もしかしたら少しは自力
 排尿ができるようになるかもしれないこと、
・自己導尿は自分の体内に管を入れるのでお父さん自身が感覚を頼りにした
 たほうが危険が少ないこと
を説明しました。
そして、焦らずゆっくりと手順を説明しながら始めました。

これだけ準備はしても、やはり初めは上手くいきません。
でも、「焦ってはだめ。ゆっくりやればできるはず」と自分に言い聞かせ、父を励ましながらリードしました。
管が少しずつお腹の中に入っていきます。管は30㎝はあったでしょうか。
看護師さんの話によると、管を残り7,8㎝ぐらいまで挿入すると、管の先が膀胱に達して排尿できるということでしたので、心はぶるぶる震えながらも「お父さん、もう少し、もう少し」と声を掛けました。
・・・
父:「あ~、出た~~~」
私:「よかった、よかった(うれし涙、うれし涙)」

初回は手間取ってしまったので、少し血液が混ざってしまいましたが、その次からは少しずつ上手くやれるようになってきました。

大きな大きな山を一つ乗り越えた感じでした。


この続きは、また次のnote(「父が私をわからなくなった日(3/5)」)で書きたいと思います。

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