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「父が私をわからなくなった日(5/5)

このテキストは「父が私をわからなくなった日(4/5)」の続きです。

これを書こうと思ったきっかけは、父への気持ちに大きな変化があったからです。

父は私が幼い頃からしつけに厳しく、またよく怒るので怖いというイメージが強く、近寄りがたい存在でした。それでも自分の父親だからと、どこかで父を怒らせないように良い娘を演じようとしていたところがありました。
しかし、父の病気をきっかけに実家で二人で過ごすことになり、その短い期間の中で父と真正面から向き合い、等身大の父を見ていくうちに、「本当の父はこういう人だったんだ」と今までとは真反対の見方をするようになりました。そして、「遅いかもしれないけど、今、父のためにできることをしたい」という気持ちが込み上げてきました。
父の病気をきっかけに父に対する気持ちが変化していった、自分のその時の様子を書き留めておきたいと思い、書くことにしました。

桜の季節も過ぎ、6月になりました。
兼ねてから、父と母を一緒に住まわせたいと思っていたのですが、父については夜中の自己導尿があるので母がいる施設では受け入れてもらえません。そこで私たちは父の居る施設に母を受け入れてもらえないでしょうかと依頼していました。
施設長さんの見解では、「お父さんが施設に落ち着いてから考えてみましょう」ということだったので、しばらく待っていたのですが、5月に入り、施設長さんから「一度、お母さんと面談できますか?」という一報をいただいたのです。
母との面談の結果、『受け入れできます』とお返事をいただき、そこからはとんとん拍子に話が進み、晴れて6月の初めに母は父の居る施設に移動することになりました。

施設長さんのアドバイスに従って、母は父とは別の部屋に入ることになりました。というのは、父が母のことを忘れかかっているので、母が父の部屋にいると「自分の部屋に他人さんがいる」と思い、ストレスを感じてしまい、そうなると、落ち着いている今の状態が水の泡になってしまうからということでした。

母の移動の日が来ました。
最後に父に会いに行ってから4か月ほど経っています。

『父は私たちのことを覚えているだろうか・・・』

姉、私:「お父さん、おはよう!」
父:「おぉ~、来てくれたんかぁ。何かあったんかぁ?」
姉:「今日は、お父さんにプレゼントがあるんよ」
父:「プレゼント? 何やろか?」
姉:「ちょっと待っててね」

そう言って、姉は母が待つ施設へ母を迎えに行きました。
私は、母が入る部屋を整えながら待っていました。

数時間後、母を乗せた車いすを押しながら姉が戻ってきました。
姉:「お父さん~~」
父:「おぉ、戻ってきたんか」
母:「お父さん~~!!!」
父:「・・・」

父は混乱していました。やはり母のことはかなり忘れてしまっていて、「この人は誰だろう?」という顔をしていました。

しばらく話をした後、父もときどき手伝いながら母の荷物を片付けました。
父は混乱しつつも「この人は妻かもしれない」という思いが出てきているようでした。

母の荷物の整理が終わったころ、父と母は施設の食堂にいました。ここの施設では食事の時以外でも多くの入所者さんが食堂に集まり、なんだかんだと話をしながら過ごしているそうです。また、スタッフさんもいつも入所者さんに声をかけてくれます。母が以前いた施設では、スタッフさんはとても良い人ばかりだったのですが、食事の時以外は部屋で一人で過ごすことが多く、母はよく「寂しい」と言っていました。ですので、ここなら皆さんとお話ししながら過ごすこともできるため、そういう理由もあって、母をこちらでお世話になりたいと思ったのです。

食堂での父は、表面上「これが僕の妻です」と周りの人に紹介しているのですが、困り顔です。どこかで「この人は誰だろうか」と思っているのです。というのは、病院を退院してからこの日に至るまで父はずっと次のような話を繰り返してます、
「わしは高校を出るまでは○○(地名)という所で過ごして、そのあと世界方々を旅し(父は高校卒業後、世界を周る船に乗組員として勤務していました)、その船を降りた後はここ(施設)に来たんや。今はここでお仕事をしてるんや」と。
つまり、結婚したこと、娘がいること、つい8か月前まで48年間過ごした家のことなどを忘れてしまっているのです。

とは言え、今こうして母がそばにいて、これからは一緒に生活を始めることになりましたので、日々、母と話しをしていく中で、少しでも記憶が蘇ってくれればいいなぁと思った次第でした。

それからの父と母は付かず離れずの生活をしていたようです。
姉が時々、父や母の大好きなおやつを箱一杯に詰めて送ってくれていたのですが、毎日15時になると、二人一緒に楽しそうにそのおやつを食べているということで、その姿を想像するだけでも嬉しくなります。

父に施設へ移動してもらう時には、ほんとうにこれでよかったのか悩みましたが、施設のスタッフの方々のおかげもあり、二人が穏やかに過ごしてくれていることに本当に感謝しています。

母が移動して、夏が過ぎ、秋が来ました。
11月のある日、そろそろ仕事に行こうかと準備をしている時、私の携帯が鳴りました。父と母の居る施設からです。
私:「もしもし、お世話になっています」
施設のスタッフ:「こんにちは。今日11時ごろにお父さまがふらふらっと
         なさって倒れたんです。しばらく様子を見ていたのです
         が、顔面蒼白になり、意識が朦朧となさってきたので、
         今救急車で病院に向かっています。ご家族の方、今すぐ
         病院に行ってもらえませんか?」

施設とのやり取りの窓口は姉なのですが、姉は仕事の最中で電話に出られなかったようで、私の方に連絡が入ってきました。私はすぐさま姉の携帯に数回のコールを鳴らし、そして事の詳細をメールしました。そのあとは仕事をキャンセルし、父の居る病院に向かうための準備をしました。
しばらくして姉から電話があり、施設からの連絡を伝えました。
姉も仕事を切り上げるということで、父の居る病院に行く途中で落ち合う約束をして電話を切りました。

『病院かぁ・・・・・・』

父の認知症が始まったのは病院に入院したことがきっかけです。
今回も入院することになると、どうなるのか不安がよぎりました。

ばたばたと用意をしている最中に再び施設から電話がありました。
施設のスタッフ「今、病院でいろいろと検査をしてもらったのですが、内臓
        など悪いところはなく、血糖値が下がっていたためだった
        ようです。お薬を処方してもらって、今はこちら(施設)
        の方に戻ってきているので、ご家族さんは病院に行ってい
        かなくても大丈夫になりました」

ひとまずは父が施設に戻っているのでほっとしました。

ただ、やはり気になったので、それから2日後、私は父と母の居る施設に行きました。

施設に行く日の前日、父の好きな「みかさ」「メロンパン」「餡ドーナッツ」「クリームパン」「あんぱん」、「おかき」を買い、そして当日はデパートで母の好きな「柿の葉寿司」と父の好きな「御座候」をたくさん買って高速バスに乗り込みました。甘いものが大好きな父が血糖値が下がったということは、もしかして甘いものを欲しているのかもしれないと思ったからです。
車の運転ができない私にとって、移動手段は公共交通機関のみ。施設は電車の最寄り駅からなら10km以上、高速バス停からなら2kmほど離れていて、公共交通手段と徒歩を使って行くには高速バスの一択です。
高速バスに揺られること1時間45分、徒歩30分。大きな荷物でしたが、父と母が喜んでくれるならと、田舎道を足早に歩きました。

施設に着きました。
今日私が来ることは、父と母には伝えていないらしく、今はふたりとも部屋にいるので直接部屋に上がってくださいと言われました。エレベーターが2階に着き、扉が開いた瞬間、目の前に母を乗せた車いすを押す父がいました。
私:「お父さん、お母さん、私やよ」
母:「あら~、来てくれたん! 遠いところからわざわざありがとうね」
父:「・・・」
私:「お昼ご飯済んだところだろうけど、たくさんおやつを持ってきたから
   部屋に置かしてもらおうかなぁ」
父:「部屋か? おぅ、ここがわしの部屋や」

父の部屋に母と私も入り、持ってきたお菓子を次々とテーブルに広げました。
私:「お父さん、大丈夫だった?」
父:「何がや?」
私:「一昨日、倒れて病院に行ったらしいね」
父:「行ってないよ」
私:「・・・・・・」
父:「それ(持って行ったメロンパン)おいしそうやなぁ。ちょっと頂戴」
私:「うんうん、どれでも好きなものを食べてね」

昼食後だったのですが、父と母はおいしそうにお菓子を食べました。
久しぶりの親子3人。
母がこの施設に来てから5か月余り過ぎ、ここでの生活のことや親せきのことなど話は尽きません。
が、話が尽きないのは母と私。父はほとんど話しません。
私:「お父さん、覚えてる?叔母さんのこと。この前、足の手術をして
   ね・・・」
父:「おたくらがさっきからいろいろと話をしているけれども、何を話して
   いるのかさっぱり分からん。わしとこの人(母のこと)はつい2か月
   ほど前にここ(施設)で知り合ったんや。
   おたくらは親子でここ(施設)から南の方で生活してたのかもしれな
   いけど、わしはここ(施設)から北に行った所に居ったから
   おたくらとわしは全くの赤の他人! 知るわけがない

かなりの剣幕でした。
分かっていたつもりでしたが、かなりのショックでした。
残念なことに嫌な予感が当たってしまったようです。

父は2日前の病院で、またストレスを受けたと思われます。
こんなに強い口調で言うことは病気になってからはなかったのですが、今回はかなりです。
父は私が施設に来るたびにどんどんと痩せていっていて、それでも穏やかな顔ではあったのですが、今回はとても険しく、でもじっと見てみると孤独で非常に寂しそうな顔をしていました。父にとっての身内は、もう亡くなってしまっていますが、父の母のみなのです。

父にストレスを与えまいと、父を皆さんの居る食堂の方に行くように勧めました。そして、母と私は母の部屋に入り、そこでしばらく話すことにしました。

母は父の様子がおかしいことに気付いていました。
母:「こんなこと誰にも言ったことはなかったんだけど、お父さん、私のこ
   と忘れたんじゃないかなぁ。辛い・・・、寂しい・・・」
私:「お父さんね、去年の夏におしっこが出なくなって病院に運ばれたの
   ね。5日後に退院したんだけど、その時には私のことが分からなくな
   っててね。それから私も必死でお父さんのそばでいろいろと話をしな
   がら、なんとか少しでもと思ってやったんだけれどね」
母:「私怖いねん。お父さんがそうなってしまうのが。誰にも言えなかって
   んけど、怖いねん」
私:「そうやね。お母さんは毎日お父さんの顔を見るから余計に怖いよね。
   でもね、これは仕方のないことやねん。大丈夫な人もいるんやけど、
   年を取るにつれて記憶が無くなっていく人もいてね。お父さんの場合
   は、記憶が無くなっていってしまってると思うんよね。でもね、これ
   はお父さんのせいじゃないよ。お父さんが好き好んで忘れようとし
   ているんじゃなくて、身体が徐々にそうなっていってしまってる
   んよ。お父さん、寂しそうやった。身内がいないと思ってるから悲
   しそうやったわ」
母:「そっかぁ。そうやなぁ。でも辛いなぁ、悲しいなぁ、なんでやろう」

母とはそれから1時間余り話しました。
母も疲れてきたようでしたので帰ることにしました。
母と一緒に玄関のほうまで下りていくと、スタッフの方が食堂にいる父を呼んできてくれました。
私:「今日はありがとうね。また来るわね」
母:「ありがとうね。身体に気を付けてね」
私:「うん、ありがとうね。お父さんんとお母さんも身体に気を付けてね」
父:「今日はごくろうさままでした。まぁ、おたくも身体に気を付けてがん
   ばってください」
私:「うん、がんばるわね」

いつもなら、父と抱擁するのですが、
その日は握手をしました。まるで、仕事の商談が終った後のような感じでした。

『父は私をわからなくなってしまったんだなぁ・・・』

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