革マル派にみる、言葉遣いと伝え方考

 名古屋大学は愛知県内では愛知大学に次いで、革マル派(正式名称:日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)(息切れしそう…)が勢力を保っている拠点校とされている。
 学生ならば誰でも、全学教育棟前に並ぶ立て看板群の中に、ひと際目を引く「社会科学研究会」(革マル派団体)の隔世の感がある立て看板を見たことがあるはずだ。また、昼食時に宣伝をしている姿を見た人も多いだろう。恐らく、誰も近寄りたいとは思わないだろう。その「隔世の感」やヤバさを醸し出す要因である言葉遣いと伝え方について考える。

 まず断っておくが、筆者は筋金入りの左翼である。(初バイト代で『資本論』を買うくらい←ある種、ブルジョワ的行為というアイロニーである笑)そういうこともあって、革マル派が暴力革命を是としていることなどの批判すべき点が山ほどあるが、ここではイデオロギー面での批判はしない。加えて、決して個人の思想を馬鹿にするという行為はしないし、その意図はないということを断っておく。そのうえで、革マル派の異様さについて考えるが、これは自分にも誰にでも通ずることである。肝に銘ずるという目的も持って記そう。

 革マル派の言葉遣いと宣伝について、いかなるところが問題であるのかを挙げる。
①独特の言葉遣い 例:「○○主義粉砕!」「○○○○弾劾!」
強い言葉遣いで得られるものは何もなく、寧ろ近寄りがたい怖さが増すだけである。

②大げさな言葉遣い 例):「<新東西冷戦>下で高まる戦争勃発の危機を突き破る革命的反戦闘争を嵐のように巻き起こそうではないか!」(2022年4月3日 中央学生組織委員会声明「ウクライナ反戦、反改憲に起て「反安保」を放棄する日共をのりこえ反戦反安保闘争を創造せよ」引用)
「突き破る」「嵐のように」という威勢がいいだけのハッタリの言葉というのは、身内受けだけしか得られないものである。日常生活においてもそうだが、モノをいつもいつも大げさに言っている人を信頼できるであろうか。

③身内にだけ通じる言葉や概念 例):日本共産党→「日共」「戦闘的・革命的労働者」「ネオ・ファシズム」etc.
革マルに拘わらず、社会運動においての重大な欠陥点は身内の論理で話してしまうことだ。身内で意見交流をしたり、内部文書を書いたりする場合には構わないだろう。しかし、世間に向けて宣伝しようとしたときに組織内構成員に対してと同じ言葉や世界観で話してしまっては、「訳の分からんことを言う人」で終わってしまう。伝える相手を意識しなければ、仮に筋が通っていたとしても伝わらない。豈に勿体なからずや(なんと、勿体ないではないか)。

④キャッチフレーズ「名大唯一の社会を「視」るサークル」にみられる、啓蒙意識
特に新歓期には対話をする姿を見かける。誰かのTwitter投稿で見たが、対話相手が、ある社会問題について知らないことに対し、「へ~そんなことも知らないんだ」という態度で、「~だよ」とマンスプレイニング的(原意:男性が女性を無知と決めつけ、子供を諭すように教えること。またその態度。)に教えられたことが気分が悪かったそうだ。なるほど、よく考えたら「唯一の社会を「視」るサークル」という文言にも、「恰も自分たちは物事をよく知っているが、他の学生は社会を視られていない。だから盲目な学生たちの目を開いてあげよう」というねじ曲がった啓蒙意識が窺える。

 以上のことを直したとて、勢力が大きくなることはないだろう(もっとも、願ってもいない)。しかし、社会を変えたいのであれば最低限改善するべきことなのである。
 私たちも、自分が明るいことについて、まるで教えてあげるという態度で語ってしまうこともあろう。相手がどう思っているのか、マンスプレイニングになっていないのかをよくよく考えねばと思った次第である。



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