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一ウラ二ヤハ三プルャな日々

前回の投稿から、一年近く休筆状態になってしまいました。
理由は山ほどありますが、何よりもまず、私が休筆している間にも拙作に目を留め、スキして下さった心優しく尊き方々に心からの謝意を申し上げたいと思います。感謝の謝意と謝罪の謝意。両方の意味で、です。もはや物書きの端くれとも名乗れなくなった私の書いたものを、わざわざ読んで好きだと言ってくれる神か仏のような人がこの世に存在する。本当に、伏して拝みたいぐらい有難かったです。にもかかわらず、まったく書けないままこんなに長い時間が経ってしまった。私の勝手な妄想かもしれませんが、もしかしたらもしかしたら、この青石沙月っていう人の作品、もっと読みたいな。何だ、最近全然書いてないんだ、つまんね、などと失望させてしまったかもしれないと思うと、切腹してお詫び、どころではすまないものを感じていました。本当に、申し訳ありません。今後は、もう少しゆるい感覚で頻繁に、文章を投稿できればと心を入れ替えて戻ってまいりましたので、平にご容赦のほどを。アナログ人間なので、方法が分かりませんができるものならお一人お一人に、個人的に御礼のご挨拶して回りたいぐらいです。そして、その方々にメルカリで在庫処分したけれど一年で一冊しか売れなかった我が悲劇のデビュー作をぜひともサインとメッセージ入りで献呈させて頂きたい。(いらねー)
ちなみにまだ、段ボール箱に山ほど在庫あります。もう半分、バナナのたたき売りみたいな心境で現在もしつこくメルカリに出品し続けているので、哀れと思し召してどなたか、ご購入頂けましたら幸いです。(結局、宣伝なんかい)

さて、興味がない方は以下はざっと飛ばし読みして下さっても構わないのですが、できればじっくりお読み頂ければこれ幸い。主たる理由は前回の投稿で書いていた、派遣の官公庁の仕事があっさりなくなってしまったから。当初は長期の仕事と聞いていたので、楽しくもない仕事ではあるが、可能な限り長く続けるつもりでした。そのために必死で仕事を覚えて、年下の金髪女に毎日、軽蔑のまなざしで見下され、それこそ下女みたいに扱われても唇噛んで耐えておりました。にもかかわらずいきなり、何か思ったより仕事少ないし、こんなに人手いらないから、悪いけどあなたたち10月で解雇ね、という旨の通告を一方的に派遣会社の担当者から受けた訳です。結局は、図書館勤めのときと同じ。非正規は使い捨て、派遣も使い捨て。しょせん私は雑巾人生を脱却できていなかったということです。

生きるための仕事がなくなったからといって死ぬ訳にはいかないので、私はまた新しい仕事を探しました。それまで稼働していたのとまったく別の派遣会社に世話になるのはいろいろと負担が大きいので、簡単に仕事を奪われたことへの恨みや不信感はあったものの、大手で選択できる仕事の数も多いので、そのまま同じ派遣会社で仕事を探し、新しいきれいなオフィスで書類を仕分けたり入力したりするだけ、電話対応一切なし、長く働けます、という触れ込みの事務の仕事にエントリーし、無事採用されました。某大手共済組合の事務でした。
しかし、今度こそと意気込んだのもつかの間、私はすぐに共済事務という、まったくよく分かりもしない仕事を、安定だけを重視して選んでしまったことを激しく後悔しました。いい年をして自慢にもなりませんが、私は保険というものが本当にわかりません。ブルネイの法律やジョージアの司法制度やゾロアスター教の教義と同じぐらいわからない。どんなに懇切丁寧に説明されてもわからない。恐らく生まれる前に運動神経と、保険に関する理解力はどこかに落としてきたのだろうと思います。共済という言葉を聞いたことはもちろんありましたが、それと保険とは私の頭の中で結び付いていませんでした。共済事務って保険の仕事なんだと、採用されてからやっと理解しました。そして保険の仕事というのが、百科事典のような分厚いマニュアルを何冊も見比べながら、例えば転んで骨折した人、交通事故にあった人、兄弟けんかで取っ組み合って打撲した人にお金を支払ってよいかルールにのっとり厳密に審査する仕事、病気やけがで通院している人が病院で受け取った領収書や診断書の束を延々と、チェックしお金を支払ってよいか厳密に慎重に詳細に審査する仕事なのだと分かってきました。さらに領収書や診断書の束をホッチキス留めする際にも法律のように厳密なルールがあり、四十枚の束のうち一枚でも順番が狂っていると即、やり直し。何度も何度もホッチキスの針を留めては外し、留めては外さなくてはならないので、しまいに私の爪はぼろぼろになって欠け、指にも針の刺し傷がいくつもできました。私には、こんなに過酷で面倒で難解な仕事はこの世にないと思えるほど難解でした。共済事務に比べれば、大学図書館でフランス語やハンガリー語や中国語の本の書誌データを作成する方がはるかにはるかに容易だ、と私は断言します。

毎日、私は一体、何をしているのだろう?とよく分からないまま、訳の分からない書類やマニュアルに押しつぶされそうになりながら仕事していました。大げさでなく気が、狂いそうでした。どんなに脳みそをフル稼働して理解しようとしても、何が何やらさっぱりわからないのです。共済事務はノルマも厳しく、毎朝山ほど書類を渡されましたが、私が一日に処理できるのはやっと三分の一程度。その三分の一も、不備があれば容赦なく戻ってきます。そして翌日にはまた、ノルマ分の書類が無慈悲に追加される。私の手元から書類の山はいつまでもなくならず、まるで借金の無間地獄。だんだん目が虚ろになって、ノイローゼが進行してきました。周りの人たちとの人間関係が良くなかったことも、ノイローゼの進行に拍車をかけました。私と一緒に仕事を始めた8人ほどの女性はみな、明らかに私より10歳以上若い子ばかり。せっかく、同期で仕事始めるんだしさ、ライングループ作ろ!と言われても、そもそも私はラインをやっていない。ごめんなさい、今すぐライン始めますね、と慌てて不本意にアプリをインストールしましたが、「別にそこまでしてくれなくても良かったんですよ、青石さん」と苦笑され。気づいたら、私以外の同僚はみんな誰かしら特定の仲良しを作って、グループが形成されている。私一人がそのどこにも属せていない。初日に気さくに話しかけ、笑顔で挨拶してくれたはずのMさんにも、いつの間にか私以外のパートナーができている。アラフォーにもなってまさかの、学生時代に数えきれないほど味わわされた絶望と恐怖の再来でした。
たまに声をかけてくれる同僚には、若者ぶって自分から慣れないラインメッセージを送ってみたり。笑顔で全員にお疲れ様!とお菓子を配ったり。我ながら涙ぐましい努力を重ねましたが、最初から如実に横たわっている周囲との大きな溝とジェネレーションギャップを埋めることはかなわずじまい。優しくて人懐こい笑顔のMさん。私は特に好感を持っていましたが、彼女にはもう私ではない決まった人がいて、決して私とはお昼を食べないし、駅まで一緒に帰ることもない。同性愛指向ではないのですが、片思いのようないいようのない切なさと寂寥感を日々嚙み締めつつ、私は毎日一人でお昼を食べました。派遣会社の営業がまるで自社の施設のように自慢していた、新しくて広くてお洒落なランチ専用ルームで、周りは誰かと談笑に興じて大笑いしてものすごく楽しそうなのに私だけが毎日一人で、黙々と修道女のようにコンビニ飯を食べていました。
唯一の楽しみは、事務所があるビルの中でたびたび市民講座が開催されていて、その参加者向けなのか分かりませんが、ごく小さな図書コーナーが設けられていて、懐かしくもいとおしい、図書館の匂いを感じられたことです。そこには古くなった蔵書が何冊か入った箱が置かれていて、誰でも持ち帰って良いと書いてありました。私は毎日、昼休みに箱の中を見に行って孤独を慰め、古色蒼然とした戦前から戦後間もない頃の料理本などを何冊も嬉々として持ち帰りました。

仕事は落ちこぼれ、日に日に孤独は募り、ノイローゼの進行は進む一方でしたが、ある人の期待を裏切らぬためにも、無間地獄の共済事務を辞める決意はなかなかできませんでした。毎朝、少しでも気持ちを明るくするために、自分を鼓舞するために通勤時に私が魔法の呪文か何かのように、心の中で何回も唱えていたのが「一ウラ、二ヤハ、三プルャ」という言葉。当時、ハマったばかりだったちいかわのうさぎが有名なことわざの「一富士、二鷹、三なすび」を自分流にアレンジして作った言葉です。うさぎは、いつだって自由で何でも自分流。ちいかわやハチワレとも、お泊りするぐらい仲良しだけど、過度ななれ合いはせず、自分の住んでいるところは秘密のまま。ちいかわとハチワレがおそろいのタコ着を着ているときも、あえて自分だけイカ着を着る。私も、うさぎみたいに飄々と、自由でありたい。一ウラ、二ヤハ、三プルャ。おめでた尽くし、縁起が良いぞ。唱えていれば幸運が、きっと私にもいつか巡ってくると信じたかったけれど、現実はちいかわたちが住む、でかつよや魔女がたびたび襲ってくる世界よりもっと残酷で、ちいかわやハチワレのような優しい友だちも、もちろんどこにも存在せず、寂しさを紛らわせるために、毎日、同じ個室のトイレに入っては便器を疑似的同僚に見立てて挨拶したり、話しかけるという末期的症状。仮病で欠勤する日が月に一日、二日、週に一日と増えていき、出社拒否症に陥った私は遂に四か月で、苦しく、寂しかった無間地獄から逃げ出しました。共済事務に慣れるのは誰でも半年かかります。半年経てば、青石さんも保険の仕組みが分かるようになります、と派遣会社の営業に執拗に引き止められましたが、半年経っても二年経っても、私が保険を理解する日は永遠に来なかったと確信します。
お金のため、安定のためだけに仕事をするのは金輪際やめよう。楽しくない仕事、好きじゃない仕事は、私には絶対にできない。続けられない。生きづらい、我ながらめんどくさいけど、私は死ぬまでそういう厄介な人間なんだと改めて、今更のように思い知らされたのでした。

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