カジュアルおばさん

 仕事をしなくなり2週間。
 今までと同じ生活スタイルをしなければという思い込みはすぐに崩れて、好きなように思いつくままき過ごしている。気楽に過ごしてると思われるだろうが、勤めていたら見ないふりできたこと、不安を現実として向き合うことになる。
 睡眠の質は悪い。新しい日々のなか、思いの外、不安はやってきた。勤めて、何処かに所属して、不安を見て見ぬふりしていたいのか。
携帯での求人検索することが新しい日課となる。携帯さえあれば今は、色んなことを調べることができる。明日の仕事の辛さは無いのだから、長く画面を見てしまう。そして、見れば見るほど、辞めたことを後悔するような気持ちも出てきて落ち込んだ。ランダムに前の仕事の場面、同僚が登場する夢も見た。定年された先輩が言ってたのは、これか。しばらく、そういう夢を見ると。
 求人検索も、ある程度エリアや特定の職種を絞れば限りもあるだろうけれど、最初はエリアや年齢不問で見てしまったかもしれない。
 何かがやりたくて辞めた転職活動ではなく、今の職場を過去にするための立ち止まりは、急な無職見習い期間にうろたえた。
 昼間に外に出ては、自分は何もしていない人、社会に属してない人と思うようになった。社会のなかで何らかの役割を与えられている人🟰働いている人、という枠組みを持っていたかもしれない。

 先日、カジュアルおばさんなる言葉が炎上したが、私は以前から、フェミニンではないカジュアルな服を好んで着ている。
 外に働きに行かなければ着ることのない服が、これほどあるのかとブラウスやシャツを収納した。勤めなければ着ない服がクローゼットを占めている。次に何の仕事をするか分からず捨てる気になれなかった。
 勤めていないと、普段着るのはデニム、Tシャツ、スポーツウェアなど。
 私の場合、服を買う楽しみ、着る楽しみも、働くこととセットになっていたのかもしれない。
 カジュアルおばさん、それは日常の普段の暮らし。私にとってのちょっとよそ行きは、働いてることで手に入れてたのかもしれない。

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