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すみれの花咲く頃

春野町(静岡県浜松市天竜区)にあるコテージまで視察におもむく。ともかく現場を確認しないと、具体的なイメージが湧いてこない。

午前10時に静岡で関係者と待ち合わせ、車2台で春野町に入る頃にはもう、お昼になっていた。
ここからさらに小1時間かかるというし、デイリーヤマザキが1軒ある以外は食事のできる環境がないとの事で、この辺で唯一のレストラン(食堂?)に寄ることにする。
でかでかと掲げられた看板の文字は「大都会」だ。こうまであからさまに場違いなセンス、嫌いじゃない。

昼の12時というのに、僕たち以外に客はいない。備え付けのテレビでWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)日本vsキューバ戦をやっていた。王監督やイチロー選手の緊迫した表情が映し出されている。これ、決勝だったんか。
試合日をデータで確認すると、2006年3月20日となっている。
するとこの思い出話、もう18年も前になるのか。時の流れって早いねぇ。

ところどころに「落石に注意」と看板がある未舗装の山道を進む。対向車とすれ違えない細い道が延々と続き、聴こえてくるのは川のせせらぎだけだ。森林浴にでも来るなら、格好の場所かもしれない。通勤となると、目の前が真っ暗になる。

やがて視界が広がり、川向こうにコテージと、ピンク色で木造の小学校が現れる。昭和43年の廃校から今年で56年経過しているが、今も当時のままに保存されているらしい。
僕たちは道沿い左手の、食事処だったらしい施設の裏手に車を停めた。手前には動きを止めた立派な水車がある。今回のパートナー会社の担当に訊くと、修理して再開するよう行政と交渉中なんだとか。
確かに水車が回っていれば客寄せになるが、来ないから動かさないままなんだろう。見込みの薄いものに、予算計上してくれるんだろうか。

指定管理者プロポーザル時の提案によれば、こちらの食事処を再開し、現地の雇用を保証するとしたらしい。
それが町から選定された後いざ集落の寄り合いに参加してみると、希望者はゼロだったという。あてがすっかり外れ、泡を食ってしまったようだ。
言いたかないが、机上きじょうのみで計画をつくるからこんな目にう。結果、担当しないはずだった僕まで巻き込まれる。

そもそも働き手に困らず、現地の人たちで回して行けるなら業務委託する理由はないはずだし、それでも委託するというなら、いま働いている人たちの雇用を前提条件の中に付け加えたはずだ。
指定管理者をとりあえずはやっておこうなんて安直に発想するから、担当するほうはエライことになるわけである。
ま、”我が社”に限って言えば、いつもの後始末に過ぎなかったが。

その当時でも30世帯を切っていた集落に、若年層は皆無の状態。年齢高い人同士、自分だけ雇用されて目立つのは避けたいという意識も働いたらしい。

今の僕だったら、まったく異なるアプローチを試みたはずだ。
そういう状況にあっても、まずは地域の人たちとのコミュニケーションを深め、信頼関係を構築していくことを第一に考えただろう。田舎には排他的側面が少なからずあるが、それだけにまとまる時は一気に団結もする。

担当の彼も、地元の人たちと触れ合うべく一生懸命動いてはいたが、週に1回顔を魅せる程度でそこまでの関係性をつくるのは無理である。
現地採用が難しいなら、他所よそから働き手を引っ張て来ようとなった。

当時は箱根に数軒の契約先があり、住み込みの人たちを何人も抱えていた。そのリーダーの一人に誰か人材がいないか問い合わせると、元板前で包丁を握っていた50代の男性を紹介される。
急な話しで申し訳ないが、食と住まいと(買い出し用の)車は保証するのでひとまず1年、静岡の山奥で働いてくれないか交渉してみた。すると間を置かず、「いいですよ」とありがたい返事をもらう。

いくらなんでも一人だけ現地に放り込むわけにもいかず、ある事情からバイトの身分にくすぶっていた20代の男子に、正社員採用を前提として、こちらも1年やってみないかと投げかけた。彼も「頑張ります」ということになり、人の問題はとりあえず解決をみたのである。

幸い本社には元2級建築士も在籍していて、食事処奥の事務所の床を上げ、フラットな板張りの空間にしてもらう。工事費は数万円の材料代のみ。これで布団を用意し、現地で寝泊まりできる環境も整った。
彼ら2人がお客に食事を提供し、コテージの予約を受け付けてもらえば、オープンまでになんとか間に合う。

絶望の状態をわずか10日足らずのうちに解決し、どんなもんだいと社長に報告すれば、「そうか、カネかかるな」とぽそり。

ひょっとしてアンタ、それをワシのせいにするんかい。
(明日も続く)

イラスト hanami🛸|ω・)و


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