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静かなるマイルス

30歳前後に、いろいろなことがあった。僕の人生でもっとも激動の時代だったと思う。
音楽も、それほど聴かなくなっていた。静岡に移り住み、こちらも人生初のサラリーマンになってみると、やがて日常に忙殺されるようになり、ますます音の世界からは遠ざかった。

ようやく生活のリズムが安定してきたら、無性にジャズが聴きたくなる。当時はまだレコードかCDを現物で手に入れるしか聴く手立てがないから、結構買いあさり、むさぼるように聴きまくった。
その中にはレスターやパーカー、エリントンやAECなど馴染なじみの演奏もあるが、これまであまり聴いてこなかったスタン・ゲッツやチェット・ベイカーの、比較的新しい録音も含まれていた。それまでヨーロッパ・フリーは別として、明らかな偏見から白人の演奏を避けていたのだ。
戻ってきたジャズの世界だが、以前よりも視野の広がった気がした。

マイルスで言えばマラソン・セッション、とくに『クッキン(Cookin)』の『マイ・ファニー・ヴァレンタイン(My Funny Valentine)』にヤラレた。あまりに遅まきながら、30を過ぎてからの経験だ。

冒頭レッド・ガーランドのたまころがすようなピアノの美音からして、すでに身も心もとろける思いになる。そこにマイルスの、繊細の極みのようなミュートが乗っかってくると、もういけない。
このレコードはかつて店でもかけていたはずなのに、20代の僕は、一体どんな耳をしていたんだろう。
ドルフィーやオーネットの革新性には反応しても、マイルスの抽象的な美を理解するには、さらなる時間が必要だったようだ。

同じ時期、CDとして購入したのが『イン・ア・サイレント・ウェイ(In A Silent Way)』だ。一度家で聴いたあとすぐにカセット・テープにダビングして、仕事で移動する車の中で流し続けた。

蛇足になるが、今ならUSBにいくらでも音楽データを取り込み、その時々の気分次第で聴きたいものをかけられる。僕は使ったことがないが、SpotifyやApple Musicなど利用すれば、選曲の数は無限に近く拡がるはずだ。
車で遠出をすることもなくなったし、一つの作品を何度も反芻はんすうして聴く機会など、今は皆無になった。
不便さゆえにとことん一つの作品に向き合えた時代と、自由な選択の幅が広がるほどに薄まっていく個々の関係性と、どちらがいいと断言できるものではない。
人は何かを得る時、確実に何かを失うようにできている。

『イン・ア・サイレント・ウェイ』の前作となる1958年『キリマンジャロの娘(Filles De Kilimanjaro)』は、過渡期かときの作品という扱いを受けている。しかしこの盤は、どの時代にも属さない傑作だと思う。
デイヴ・ホランドのベースなど、このアルバムでしか聴けない強烈で固有こゆうの響きだ。

ただしこの頃になると、マイルスの作品は完全に技術と知性にまさる音楽へと変貌へんぼうを遂げている。かつて『カインド・オブ・ブルー』で迎えた一つの詩的頂点から、全く異なるいただきを目指し、登頂する姿がそこにある。
マイルス本人のプレイも充実している。さらに卓越した人材発掘の能力と相俟あいまって、有無うむを言わさずガツンと脳天を叩きつける、必殺パイルドライバーのようなバカテク集団が形成されていく。

『イン・ア・サイレント・ウェイ』に続くのは、「フュージョン」と呼ばれるジャンルを確立し、ジャズ史上最も革命的とうたわれた1970年の『ビッチェズ・ブリュー(Bitches Brew)』だ。
まさにそれは「革命」であり、LP2枚組を支配するのは曖昧な”感性”という遺物ではなく、伝統から決別した”力”が、全てを支配する世界である。
まさにそれは「聴け!」であり、聴いたなら「理解しろ!」と迫る、強烈な音楽体験になる。

『キリマンジャロの娘』と『ビッチェズ・ブリュー』の間に挟まれた『イン・ア・サイレント・ウェイ』もまた、どこにも属さない独立した作品だ。
未来への「予感」は、確かにある。
ただ、『キリマンジャロの娘』のように新しい音世界を作り出そうとする強いエネルギーよりも、もうすでに存在していてそのままで充足しているような、そうでありながら響きはあくまで新味に満ちているという、不思議な感覚をもたらす。

カーステから流れる『イン・ア・サイレント・ウェイ』に、かつてオンボロ車で聴いた『バグズ・グルーブ』の浮遊感が重なった。

参加メンバーはウェイン・ショーターのサックス、ハービー・ハンコックとチック・コリアのエレクトリック・ピアノ、ジョー・ザヴィヌルのオルガン、ジョン・マクロクリンのギター、デイヴ・ホランドのベース、トーニー・ウィリアムズのドラムだ。
70年代以降、フュージョンの立役者となるミュージシャンばかりが顔をそろえた、とんでもないアルバムだ。

『イン・ア・サイレント・ウェイ』というタイトル通り、静かなグルーヴ感を維持しながら、聴き手は不思議なハーモニーの世界を漂い続ける。
曲らしい曲には発展せず、そのムードの中にだけいつまでもひたっていられる、ユニークな作品だ。

始まりもなければ終りもない。任意にその一部だけを切り取り開示して見せただけの、なぎのような時間の流れ。
マイルスはエモーショナルな要素をすべて締め出し、意志のみの音楽を作り上げた。
「神」へと連なる魂の浄化ではなく、人としての頂点を目指す「帝王」への道を選んだのだ。

イラスト Atelier hanami@はなのす


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