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最先端のおせっかい

昨日の続きを同じ記事から引用するのは、このライターさんに何か恨みがあるからではない。昭和38年生まれというこの方と、昭和37年生まれの僕と、同じ「前期昭和人間」とやらの割に思考のギャップが大きすぎて、ついネタにしたくなった。

同じ昭和人間でも、昭和46年以降に生まれた「後期昭和人間」は、まだ令和の今との意識のギャップは小さめ。周囲の同年代に独身のまま50代になった人がゴロゴロいて、その人たちはけっして特別な傾向があるわけではなく、不幸な人生を送っているわけでもないことを肌で知っています。冒頭のようなセリフが時代錯誤であることも、それなりに分かっています。

しかし、昭和45年以前に生まれた「前期昭和人間」は、男女を問わず、昭和では一般的だった「結婚至上主義」が色濃く染みついているケースが少なくありません。既婚者が既婚であることにひそかに優越感を覚えるのは勝手ですが、独身のまま年齢を重ねた前期昭和人間が「結婚至上主義の呪縛」から逃れられずに、「結婚していない自分」を否定したりコンプレックスを抱いたりというケースも多々あります。それはそれで、必要のないきしみを減らす調整が必要と言えるでしょう。

結婚しない人が数パーセントしかいなかった時代に育った人が、「結婚するのが当たり前」という感覚を捨て切れないのは、まあ仕方ありません。「そういう人」だと思えば、感覚のズレに対して少しだけおおらかな気持ちになれるでしょう。「どうして結婚しないの」的なことを言われたら、「なるほど、結婚するっていう生き方もあるわけですね」と返すのがオススメ。話が通じないことを思い知らせれば、二度とこの手の話題を振ってこなくなります。

平成生まれの若者たちは、「結婚するのが一人前」「結婚するのが幸せへの道」という気持ちをまったく持っていないことも、十分に認識しておきましょう。「結婚適齢期」という言葉は、その概念も実態も完全に消滅しました。

変化の功罪のジャッジは歴史に任せるとして、現状を否定して過去を美化したがるのは、自らが「型落ち」であることの何よりの証明です。変化した現状に文句を付けることで、いいことを言っている気になるのも、昭和人間の困った特性の一つ。甘い誘惑に負けないように、くれぐれも気を付けたいものです。

「昭和人間」に起こる「結婚絡みの暴言を吐く」という不具合 日経BOOKプラス 石原 壮一郎

「昭和人間」「前期昭和人間」「後期昭和人間」など独自の造語を駆使し、本当にそうだったのか立証困難なロジックで世代を分断したうえ、現在の価値感こそが正しく、「昭和人間」を時代遅れと下に見るような独善性が興味を引く。
【現状を否定して過去を美化したがるのは、自らが「型落ち」であることの何よりの証明】とまで言い切られてしまうと、かえって清々すがすがしくさえある。

「過去を美化」もまた、この人特有の根拠なき断定というしかないが、「型落ち」の時代に少子高齢化と呼ばれる深刻な問題が、存在していなかったのも事実だ。
それは「その概念も実態も完全に消滅し」たとこの人が断じる「結婚適齢期」が、立派に機能していたことの逆説的証明につながる。
「結婚適齢期」は人間が動物であり、一定の秩序に上に社会を成立させていく以上、今も厳然と存在している。

女性の場合は35歳を過ぎると、妊娠確率の低下の他に、流産・早産・死産・染色体疾患などの胎児リスク、妊娠高血圧症候群などの合併症・緊急帝王切開などの母体リスクが年々増加するとされる。
加齢とともに卵子の質の低下が進み、正常な受精卵になるための卵子の機能(妊孕性にんようせい)が低下するためである。

これは男性側にも当てはまり、精子の質(受精卵の細胞分裂を促す機能・運動率・濃度など)は、加齢とともに低下することが判明している。
ある年齢を境に、「受精卵の細胞分裂をさせる力がない」精子が急増する。たとえば45歳より高齢の男性では、25歳未満と比較して、自然流産の確率が約2倍になるとの学説もある。

その身体的特性を前にしたとき、昭和であろうと令和であろうと、「型落ち」理論の一切は無効化する。
「結婚適齢期」と言わずとも、子孫を次代に繋げるための出産「適齢期」は男女ともに、若い世代こそが最重要に認識すべきテーマのはずだ。

そこで「昭和人間」の「大きなお世話だったり単なるイチャモン」は、最先端のおせっかいへと価値の転換が図られることだって、可能になるはずだ。
(明日に続く)

イラスト Atelier hanami@はなのす

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