最先端のおせっかい
昨日の続きを同じ記事から引用するのは、このライターさんに何か恨みがあるからではない。昭和38年生まれというこの方と、昭和37年生まれの僕と、同じ「前期昭和人間」とやらの割に思考のギャップが大きすぎて、ついネタにしたくなった。
「昭和人間」「前期昭和人間」「後期昭和人間」など独自の造語を駆使し、本当にそうだったのか立証困難なロジックで世代を分断したうえ、現在の価値感こそが正しく、「昭和人間」を時代遅れと下に見るような独善性が興味を引く。
【現状を否定して過去を美化したがるのは、自らが「型落ち」であることの何よりの証明】とまで言い切られてしまうと、却って清々しくさえある。
「過去を美化」もまた、この人特有の根拠なき断定というしかないが、「型落ち」の時代に少子高齢化と呼ばれる深刻な問題が、存在していなかったのも事実だ。
それは「その概念も実態も完全に消滅し」たとこの人が断じる「結婚適齢期」が、立派に機能していたことの逆説的証明につながる。
「結婚適齢期」は人間が動物であり、一定の秩序に上に社会を成立させていく以上、今も厳然と存在している。
女性の場合は35歳を過ぎると、妊娠確率の低下の他に、流産・早産・死産・染色体疾患などの胎児リスク、妊娠高血圧症候群などの合併症・緊急帝王切開などの母体リスクが年々増加するとされる。
加齢とともに卵子の質の低下が進み、正常な受精卵になるための卵子の機能(妊孕性)が低下するためである。
これは男性側にも当てはまり、精子の質(受精卵の細胞分裂を促す機能・運動率・濃度など)は、加齢とともに低下することが判明している。
ある年齢を境に、「受精卵の細胞分裂をさせる力がない」精子が急増する。たとえば45歳より高齢の男性では、25歳未満と比較して、自然流産の確率が約2倍になるとの学説もある。
その身体的特性を前にしたとき、昭和であろうと令和であろうと、「型落ち」理論の一切は無効化する。
「結婚適齢期」と言わずとも、子孫を次代に繋げるための出産「適齢期」は男女ともに、若い世代こそが最重要に認識すべきテーマのはずだ。
そこで「昭和人間」の「大きなお世話だったり単なるイチャモン」は、最先端のおせっかいへと価値の転換が図られることだって、可能になるはずだ。
(明日に続く)
イラスト Atelier hanami@はなのす