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評価もいろいろ

(前回の続き)
三代目所長選びには、かなり時間を要した。募集をかけても希望者は現れないし、現行の勢力の中で人の上に立てそうな人材は見当たらない。
サブのポジションで頑張ってくれる男性は残ってくれたが、所長は無理だとご自身が辞退している。

そんなある日、設備を受け持つ旅館の生き字引みたいな人が、最近入ったNさんが管理者として良さそうですよと紹介してくれる。

さっそく面談すると50代の男性で、柔らかい京都言葉を話す。面構つらがまえがいかにも経営者然としていて、話し方にも安定感がある。ただし、過去の話になれば極力避けたがるのが見て取れる。「会社を経営していました」とだけ口にして、その中身に関しては一切触れようとしない。
奥さんと二人ふたり箱根に流れてきた様子から、会社をつぶして夜逃げしてきたのかなと思う。

どうみても設備員というより所長の方が似合いそうだから、やってみませんかと誘いをかける。
「う~ん」と腕を組み、「2、3日お時間いただけますか」との返事である。こういう慎重な姿勢こそ好ましい。お気持ちが固まれば早めにお返事頂きたい、そう言い置いてその日は分かれた。

数日後、再度面談して返事をもらう。
「私で勤まるものか分かりませんが、やらせて頂きます。無理とわかったら、こちらの仕事に戻していただけますか」
その条件で了承し、翌日から事務所に移動してもらった。

その日の午後、僕が行くと部屋の目立つところに、ご本人の達筆たっぴつからなるスローガンがさっそく掲げられている。

天知る 地知る 我が知る

その当時は知らなかったが、「天知る 地知る 我知る 人知る」という隣国のことわざが元らしい。
誰も知るまいと思っても、隠し事は天の神様が知っている。地の神様も知っている。自分も知っているし、あなたも知っている。悪事はいつか必ず発覚するという意味だ。

「働く皆さんだけでなく、僕に対するいましめの言葉なんですよ」とおっしゃる。
正直言ってこの手の教訓は、発する人が能力的にも人格的にも信頼をおかれない限り、相手をしらけさせるだけだと思う。ご本人は悦に入っておられるようなので、それ以上のことは申し上げなかった。

所長となったN氏は、まめに現場を回り、従事者とコミュニケーションを取っているようだった。旅館側の評価もよく、この頃には雇用も定数に達し、しばらくは安定してくれるかに思えた。

ちなみにこの旅館、男と女のれたれたの話題がひっきりなしに飛び交う職場だった。これほどゴシップに豊富な場所は、後にも先にも経験がない。長時間勤務が当たり前なのに、いつそんな時間があるんだと首をひねる事しきりだった。

たとえば出稼ぎに来ていた日系ペルーの親子を、前の会社から引き続き雇用する。
子供の方はまだ20代。裏方の仕事よりお水系で稼げるんじゃないかと思わせる、きれいな娘だった。
彼女に旅館の料理長が惚れ、いっときはその関係を職場で隠しもせず、仲睦なかむずましくしていたらしい。会社がこちらになる前からの話だ。
ちなみにこの料理長は妻子持ちだから、明確な不倫関係となる。

ところがこのペルー女性、今度は同じ板場でとしの近い男とねんごろになり、籍を入れ、相手の郷里の広島で祝言しゅうげんを挙げることになった。
めでたい事だから何かお祝いでもなんて思っていたら、ある日の周りに青あざを作って出勤してくる。
どうしたか訊いても「なんでもない」と仕事に出かける。現場を目撃した従業員の話によれば、昨夜ゆうべ料理長と口論になり、カッとなった男の方が手を出したらしい。よりにもよってお客に提供する食事をつくる厨房で、そこのトップが痴話げんかの醜態をさらしたわけだ。

彼女自身は表ざたにしたくないようだったし、さすがに料理長も上からどやされたようで、その後のトラブルはなくなった。
不思議なのは、結婚して広島に移住するはずの彼女が、その後もずっと働いていることだ。

後で知ったがこの婚約者、運転中に信号待ちでトラックの後ろに停車しているところ、後続のトラックが突っ込んできてサンドイッチ状態になり、そのまま亡くなってしまったそうだ。お気の毒な限りである。

話しを戻せばこのN所長、ついたあだ名がピカチュウだった。
脇と後頭部にわずかに生えた毛髪を残し、つるつるの頭にクリッとした目。
常にズレた発言が京言葉ならぬポケモン語と揶揄やゆされ、働く女性たちから見下されていた感がある。
そんなあだ名を知らぬは本人ばかりで、スローガンに従えば「天知る 地知る 我知らず」といったところだろうか。
客ウケは良かったので、現場とのギャップは悩みの種だった。
(次回に続く)

イラスト Atelier hanami@はなのす

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